2007-11-07 水
秋
ゲートシティー大崎に行って来た。すぐお隣の駅なのに、私の最寄駅とは大違い。なんて、こじゃれた空間が広がっていることよ。
ノース・ガーデンと名づけられた空中庭園には♪こんな小春日和の暖かな日は〜 の歌そのままに、満開のコスモスが揺れていた。
コスモスにカメラを向けると、思わぬモデルが現れてポーズをとった。ほっぺのふっくらした雀さんだ。六本木のテレビ朝日前の広場や、日比谷公園で雀に向かってカメラを構えたことがある。その時にはサァッと飛び立たれ、一緒に居た虎ウサギの母に「オマエみたいな間抜けに撮られる雀はいないよ」と冷たく言い放たれたものだ。それに引き換え、ノース・ガーデンの雀さんは、なんとカメラ目線ではないの。♪人生いろいろ 雀もいろいろ〜。
穏かな午後を過ごして部屋にもどり、窓の外を見てみたらなんちゅう光景?!
川崎市夢見ケ崎動物公園のレッサーパンダのちゅーが話題になっているが、私の目の前ではカラスが仲むつまじさを展開中。カメラには視線もくれずに“二人の世界”を満喫している。
ああ、私もいつかフォーカスされてみたいものだ。人恋しい秋ではある。
2007-10-31 水
さよなら富士山
こんなに貴方だけを見つめてきたのに。
朝日を浴びた貴方も、夕日の中の貴方も、降る雪をまとったあなたも、ずっとずっと見つめてきたのに。どうして貴方は、私の前からそのお姿を消してしまおうとしているのですか…。
マンションを案内する不動産会社の青年が「窓から富士山が見えます」と説明した時、どうせ営業トークだろうと思った。けれど、なんと私の部屋からは想像より遥かに大きく、しっかりハッキリ富士山が見えたのだ。
嬉しかったなぁ。やっぱり私はニッポンジン。朝に夕に、顔を出してくれる富士山を見ては写真を撮りまくった。冠雪があっては撮り、夕日の紅富士になっては撮り、今年の春は農鳥まで撮影することができた。
しかし、次々マンションが建設されている今、富士山を遮蔽するビルが建つのは時間の問題だった。今まで6年間、その姿を見ることができたことに感謝しなくてはいけないのだろうか。
富士山が顔を出してくれた日は、その神聖な姿に思わず手を合わせる素直な気持ちになったものだ。いくら振り返って懐かしんでも今は見ることのできない私の富士山に合掌。
2007-10-13 土
秋祭り
今年も秋祭りの季節がやって来た。
多くの民が、この姫の健康と幸せを祈念して神輿を担ぎ城下を練り歩く。
ただ、櫓に500以上の提灯をつけた山車や、“千貫神輿”と言われる重量感溢れる神輿を見て育った身には、ここ五反田は雉子神社の氏子が担ぐ神輿はあまりも小さく華奢に見える。太鼓の音に誘われて初めてお目にかかった時には、思わず笑ってしまったものだ。
「チャッチィ?!」
しかし、私も雉子神社の隣組になって6年。毎年見ていると愛着が沸き、この日が来るのを心待ちにするようになるのだから不思議なものだ。
当日は、国道1号線の2車線を閉鎖して練り歩く神輿と、ズラッと並んだ露店を真上からから見下ろすという、ちょっとあり得ない体験が出来る。独りで見ているのは勿体無いと、母を誘ってみたが「忙しい」と断られた。高所恐怖症のリカコも絵美ちゃんも、P氏もベランダから身を乗り出して行き交う神輿を見るなんて考えられないことだろうし…。
やはり今年も孤高の姫は“天守閣”から、独りで民に手を振るしかないようだ。「皆の者、大儀である」。
2007-10-08 月
タンポポ
『根性』『努力』『精進』なんて言葉は、私の場合脳内メーカーのどこを探しても見当たらない。
その代わりにあるとしたら“怠惰”“お任せ”“いい加減”なんて言葉だろうか。
だから兵庫県で歩道のアスファルトを破って現れたド根性大根なるものが話題になった時には、大根の大ちゃんに大いなる畏敬の念を抱いたものだ。「私よりよっぽど偉い!!」しかも、この大根、上半分が折られて行方不明になったものの、戻されてから水耕栽培されているというのだから、生半可なド根性ではない。
ある日、私がお江戸は大手町で発見したのは敷石の間から顔を出したタンポポだ。こちらのド根性タンポポも黄色い花を咲かせ、茎をぐんぐん伸ばしている。
我が母は、幾つになってもご縁の無い娘を横目に、庭の片隅で咲く菊を見てはため息をつきつつ、のたまう「花は、どんな所でも咲く時期を知っているのにねぇ」。
ド根性タンポポを見たならば、一体どんな言葉が母の口をついて出てくるのやら。
2007-10-02 火
上を向いて歩こう
デューク更家ではないけれど、ウォーキングは美しい体作りの基本だと思う。背筋を伸ばし、丹田に力を入れ、一直線に前方を見据えて歩く姿は颯爽とカッコイイ。
御巣鷹の山に散った、坂本九さんの歌った ♪上を向いて歩こう は、外国人としては初めて全米レコード協会のゴールデンディスクを受賞したんだとか。素敵な曲で私も大好きだ。父が他界した時、この曲が頭の中を駆け巡り、涙がこぼれないように堪えながら、グッと空を見上げたものだ。
ところがここの所の私は、下ばかり向いて歩いている。
「グラスの底に顔があってもイイじゃないか」と言ったのは“太陽の塔”を作った岡本太郎氏だが、ある朝の出社時に私は道路に顔があるのを見つけてしまった。道路に顔があってもイイじゃないか。発見するとこれが楽しい。それ以来、道路に新しい顔を求め、下を向いて捜し歩く毎日となってしまった。
すると、けっこうあるんだな、これが。目を見開いた消火栓の蓋は、おちょぼ口。寝惚け眼の下水の蓋、マンホールの蓋は、すまし顔だ。まだまだ、探すぞぉ。
もちろん、バーゲンに駆けつけて横浜駅で階段落ちしたウエダや、お財布に目をやっていてスーパー出口の段を踏み外したリカコの轍を踏まないように、気をつけつつね。
2007-09-26 水
餃子
上野の、「大人のコンビニ」なんて電飾が光り、セーラー服が吊り下げられた怪しげな店の前を通り過ぎて、餃子で有名な店に行って来た。
もちろん餃子を頼む。一人前は4個。なんと1個が75gという大きさだ。一皿で300g。とてもではないが、4個全部食べたなら他のものが食べられない。焼きそばも、玉子ときくらげの炒め物も、海老のチリソースも食べたい。なので、一緒に行った青年の取り皿に、黙って2個移す。青年も黙って食べてくれた。しかも、「この餃子が食べたくて来たのですから」と、改めて一人前追加。7×10、餃子だけで750gお腹に納めた計算だ。ステーキで考えてみてみてよ。スゴッ。
もちろん、有名なだけあって実に“旨い”。皮もモチモチとして、甘みさえあるし、具も満杯だ。満杯なのは具だけではなく客席も、そしてドアの外にも次々列ができるほどの常に満杯。
実は、ここの餃子、ちょっと前までは一皿に5個並んでいたんだそうだ。75gのままで5個。考えただけでもギョッとする。で、あまりの重量感に客が音を上げ、店に数を減らしてもらったらしい。「値段は?」と、長年この店に通っている人に聞いてみると「変わって無いんじゃないかな」との返事。それって実質的な値上げ? 客が望んで納得するなら、それもありってことですかね。
さて、この餃子、今人気のギャル曽根だったら、何人前を平らげることができるだろう。