2005-12-11 日
クリスマス・イブ
「何してるのよ、こんな日に女二人でェ」東京駅八重洲地下街の喫茶室ド・トールで、友達とお喋りしている所をウエダに見つかり、ドヤされたのは何年前のクリスマス・イヴだっただろう。以来、クリスマスが近づくと、この時のことを持ち出された上に「今年こそ頑張りなさいよ!」とハッパをかけられる。でも、こればっかりは自分がその気になっても巡り会いがないことにはいかんともしがたい。クリスマス・イヴをロマンチックに過ごしたいと願っているのは他ならぬこの私自身なのだが。
今、振り返っていっくら背伸びしてみても、私の過ごしたクリスマス・イヴにはロマンチックな思い出は一つも見当たらない。アット・ホームなら、二人の姪がまだ幼かった頃のイヴは絵に描いたようなアット・ホームをやっていた記憶はある。
サンタさんが入り込めるような煙突の無い我が家では、皆がクリスマス・ケーキを囲む頃、この伯母さまは姪達へのプレゼントを持ってコッソリ外に出る。そして玄関の引き戸をそっとあけ、上がり框にプレゼントを置き、静かに外に出てから、思いっきり音を立てて玄関の戸を閉める。すると部屋の中でジジ、ばば、パパ、ままといった大人たちが「アッ、誰か来た。見ておいで」と姪達をはやす。ドタドタと玄関に向かった姪達はプレゼントの山に大喜び。「サンタさんだ、サンタさんがプレゼントを持って来てくれたぁ」。姪達が手に手にプレゼントを持って居間に戻る前に、伯母さまは一仕事終えてテーブルの前に座っているという寸法だ。大人たちが又、口々に言う「サンタさんにお礼を言いなさい」。すると姪達は玄関にもどり、外に向かって大声で叫ぶ「サンタさぁ〜ん、ありがと〜!」。まさに“ご家庭での正しいクリスマスの過ごし方”でした。
それから数日して伯母さまは、姪達に、こう言ったら怒られた。「ねぇ、なんでチャーちゃん(私は家族にこう呼ばれてる)があげたお揃いのパジャマ、着ないの?」。「あれはサンタさんがくれたんだよ。チャーちゃんにもらったんじゃないよ!」おっと、そうでしたそうでした。同じようなことを父もやっていた。「今度、出かけるときには二人ともジーちゃんがあげたリュックを背負って行けよ」。「あれはサンタさんがくれたんだよ。ジーちゃんにもらったんじゃないよ!」
「今度のクリスマスはサンタさんに何をもらうの?」と聞くと、二人そろって「あのね、あのね…」と夢見る目で伯母さまに胸のうちを教えてくれた姪達だが、最近はメールやら電話で「もうバッグは要らないからね」「マフラーも手袋もあるから違うのにして」なんて事をシビアに言ってくる。ああサンタさん、あの可愛いかった姪達を返して下さい。
もっと前のクリスマスでは、叔父の店でアルバイトをしたことを思い出す。叔父は浅草で鶏肉を主とする精肉店を営んでいた。冬場は焼き鳥用、鍋物用、雑煮用、そして何と言ってもクリスマス・イブには、焼いた鶏のもも肉が飛ぶように売れた。私は高校1年の冬休み、叔父の下で元日までの一週間を懸命に働いていたのだ。
冬場の肉屋は地獄だ。ただでさえ寒風吹きすさむ中、背中の業務用巨大冷蔵庫にも目の前のショーウィンドーにも冷気が満ち満ちている。足元だって、打ちっぱなしのコンクリートの寒々しさ。震えながら立っている私に、ほんのちょっと年上の店員さんが30cm幅の板を持って来てくれた。「これに乗ってな」と置かれたその板の上に立ってみると、嘘のように暖かい。これが木の温もりと言うものだろうか、コンクリートの冷たさと厚さ2cm程の木の上の体感の違いにビックリしたものだ。その店員さんは、手の指だけでなく耳たぶまで真っ赤な霜焼けにしながら、暖かい心と労を惜しまない真面目さで叔父の店を支えてくれていたのだ。
そうそう浅草という土地柄、芸者さんや半玉さんの粋な姿を見かけることもあった。さすがに、その姿で肉を買いに立ち寄ってくれることはなかったけれど、代わりに(?)変わったお客さんが顔を見せてくれたことがある。思い返すと、今テレビで人気のカバちゃんのような人だった。「いらっしゃいませ」と、私が肉の並ぶカウンターの上から顔を出すと「マスター、呼んでちょうだい」と女形のような声に刺がある。(マスター?)私が?マークを飛ばしていると、叔母が側に来て「女が応対しちゃ駄目なのよ」と囁き、叔父を呼ぶ。叔父が「いらっしゃい」と顔を出すと、女形声が1オクターブも上がり、満面の笑みに体をくねらせながら「コロッケちょうだい」だって。最近はテレビで、おすぎとピーコを始め、山崎とおる、真島茂樹、假屋崎省吾 etc.と多才な人々が登場し違和感も無くなって来たが、田舎の女子高生にはちょっと衝撃的な出来事だった。
仕事でも衝撃はあった。何しろ鶏が専門の店だもので、料理屋さんへダシ用の部位を袋詰めにして卸すということもしていた。その部位というのが鶏の足だったり、鶏冠をつけた首だったりする。その首や足を注文の目方通りに袋詰めするのだ。その仕事を言いつけられた時は、その首が今にも目をむいて飛びかかってきそうで恐ろしかった。足も、今にもひっかいて来るのではないかと思えた。見るのさえ怖かったが、仕事は仕事やらねばならぬ。最初は、何十キロと詰められた箱の中から、軍手をしてドンクで恐る恐るつまんでは袋に入れていた。腰も引け、手を伸ばしてやっとこドンクで1ツずつつまみ出していたものだ。それが、ああ人間の慣れとは恐ろしや。だんだんにドンクで摘まむのはわずらわしくなり、軍手でむんずと掴んでじゃんじゃん袋詰めをこなすようになっていった。しかも鶏の首を持ち「この鶏冠立派」なんて品評会までするに至っていた。ああ、あのイタイケナ女子高校生が。
そして、今年もクリスマスが目の前だ。姪はサンタさんを信じる年齢をはるかに越えちゃったし、叔父は肉屋を辞めちゃったし、王子様を乗せた白馬はどこで道草食ってるのか、いくら待ってもやってこないし……ああ又しても、ウエダにドヤされるイヴがやって来る。