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    <title>大安吉日ノーテンキ</title>
    <subtitle>2004年〜2007年</subtitle>
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    <updated>2007-06-23T15:00:00Z</updated>

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  <title type="html"><![CDATA[つう]]></title>
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  <updated>2007-06-23T15:00:00Z</updated>
  <published>2007-06-24T00:00:00+09:00</published>
  <content type="html"><![CDATA[<p>“一目惚れ度チェック”なるものを試してみたら、なんと「あなたの一目惚れ度は90％です」と出た。さんざんウエダから「あなたの敗因は、惚れっぽくないことよ」と言われているこの私が？！</p><p>思い返しても、私が“惚れたおとこ”件数と言ったら２度しかない。それは男性での初恋の相手と……。</p><p>男性での初恋と書いたのには訳がある。実は、本当の初恋（？）と言って良いような胸キュン初体験は、中学１年生の時に１学年上のお姉さんへの思いだったのだ。その麗しのお名前は、忘れもしない石川清子さま。３年生の壮行会に向け、私は体育館の舞台裏で劇の稽古の順番を待っていた。私が演ずるのは『地蔵がくれた赤ん坊』というお芝居で、お地蔵様の化身の女の子役だった。その時、舞台上に居たのは２年生の『夕鶴』チームだった。鶴の恩返しロマンス・バージョンといったところだろうか。その主人公である鶴“つう”を演じていたのが私の正真正銘、初めて恋した相手だったのだ。</p><p>白い着物を着て、白い兵児帯を低く締め鶴を思わせる物腰で、舞台の上を滑るように歩く。「ス・テ・キ」。その優雅なお姿に自分の両の目がハート・マークになっているのが分かる。ドッキン・ドッキンと胸の鼓動が高鳴る。どこからどう見ても（つうさま、ス・テ・キ）。</p><p>まだ、名前すら知らない先輩の姿をひたすら追い求めて、何日間かが過ぎた。そんなある日、台本を片手に現れたつう様が、帯が解けそうだと慌てだした。「ちょっと持ってて」。その台本を私に渡すと、その場でアッサリ帯を解いて結び直し始めた。もちろん帯の下には腰紐がしっかりと結んであった。渡された台本の右端には黒のサインペンで「石川清子」と書かれていた。その流れるような文字も、私には光って見えたものだ。（石川さんというんだ、清子さんなんだぁ）。（ファーストネームは私と同じイニシャルだぁ）。ただその発見だけで、天にも昇るほどの喜びだった。</p><p>それからは、今で言うところのストーカーよろしく石川さんをつけまわした。兎に角、多才な方で、鶴を演ったかと思うとコーラスでは踊るようにタクトを振る。スポットライトを浴びて、ピアノ独奏もされる。ひたすら憧れ調べ上げ、運動神経など持ち合わせていないのに、石川さんの所属する運動部に入部までしてしまった。今なら新体操部だと思うが、当時は“音楽体育倶楽部”と言っていた、どう考えても自分とは縁の無い部だ。石川先輩が側に来てくれるだけで嬉しくて嬉しくてたまらなかった。でも、側に来てくれ、かけてくれる言葉は決まっていた。「あなた、体硬いわね」。</p><p>やがて３年生の壮行会も終わると、２年生もそろそろクラブ活動から隠退をする。石川先輩も当然のように引退をされた。そしてこの私も後を追って退部届けを提出した。もちろん誰も止める人は居なかった。</p><p>同じ部に所属しながら、あまりにも憧れが強すぎてまともに口を利くことすらできず、石川先輩の連絡先は知らずに終わってしまった。そして高校は石川先輩は優秀な進学校、私は地元の平凡な学校へと進み、ご尊顔すら見ることも無いままに今に至る。クラブ活動だけでなく勉強も先輩を真似て頑張ったら、人生変わっていたかも知れないなぁ。</p><p>２度目の初恋（？）の相手は、ありがちな転校生だった。石川さんが卒業した翌年の春、放課後の体育館で、学年もクラスも関係無しで卓球を楽しんでいた時に、順番が来て、たまたまダブルスを組んだ相手が、東京から転校してきたばかりの中野君だった。ジャージや、スェットなんていう時代ではなく裾がダブルの“白ズボン”の頃だ（計算はしないこと）。白いズボンに白い開襟シャツ。そして新庄ばりの白い歯。「東京から来ました」という、その“東京”という響きだけで、埼玉の片田舎の女子はドキドキなのに、ラケットを構えて「君はもう少し右に居てね」なんて優しく言われたらドキドキがドキンコ、ドキンコになってしまう。き、きみなんて言われたことない。眩しい瞳で「君」と呼ばれ、私がミスしても「大丈夫だよ、気にしないで」なんて優しく肩を叩かれた瞬間にfall in love.</p><p>私は又もや、エセ・ストーカーとなり、友達に頼み込んで中野君の住まいとおぼしき辺りを歩き回った。その時、近くのお寺の境内で捨て猫を見つけた。そして大胆にも、その猫を抱いて私は、中野君の家を目指した。「この猫、あまりにも弱々しくて、ウチまで連れていけそうもありません、預かって下さい」。心優しい中野君は、ビックリしながらも猫を預かってくれ、翌日には「母が、可愛いから飼うって」と、私のクラスまで報告に来てくれた。</p><p>これで、話すキッカケができたとほくそ笑んでいたのだが、その直後にお父さんのお仕事の都合で、中野君は甲州へと引っ越してしまった。引越しの朝、友達につきそってもらい、去り行く中野君の乗ったトラックを見送った。私は、そのまま学校のプールに行き、流れる涙を誤魔化したものだ。中学三年生夏休み最終週のことだ。ああ、なんて切なく美しい私の青春の一ページよ。（美しいは、思い出と私にかかります。念のため）</p><p>それから、倍近い人生を送った後に、当時11ヶ月、二回りも年下のモトヒコ君という宝物との出会いがあった。惚れたねぇ。全身全霊で惚れ抜いて、目から入れたり出したりして（ゾゾゾッ）可愛いがった。モトヒコくんも懐いてくれた。私を“コーママ” （チーママに非ず）と呼んで慕ってくれた。天地がひっくり返ろうが、この命を取られようが、この子だけは絶対に守り抜こうとさえ思った。そして保育園の年齢になった時に訊いてみた「モトちゃん、大きくなったらコーママを、お嫁さんにしてくれる？」当然「うん！！」という力強い返事を期待しつつ。ところが賢い子やねぇ、返って来たのは「僕が大きくなったら、コーママはおばぁちゃんになっちゃうでしょ？！」。</p><p>あの失恋の痛手より、私は人に惚れてないし恋もしていない。そしてあの衝撃を思い出す度、コーママは小梅太夫のように叫んでしまうのだ「チックショー！！」</p>]]></content>
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  <title type="html"><![CDATA[気力]]></title>
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  <updated>2007-06-16T15:00:00Z</updated>
  <published>2007-06-17T00:00:00+09:00</published>
  <content type="html"><![CDATA[<p class="kagi">「体力と気力の限界を感じ……」かの大横綱千代の富士が、引退を発表した時、ここでグッと詰まり、斉藤祐樹くんが生まれるよりずっと前に、タオルのハンカチを握り締め涙を堪えていた表情を思い出す。</p><p>辛かったのよねぇ。一人横綱で頑張って、若貴が出てきたら途端に敵役のようになってさ…本当に、日本人の移り気を感じた一コマだった。</p><p>中国人は「井戸を掘った人の恩は忘れない」と言うけれど、日本人は水が出たら恩は忘れて、枯れたら掘った人に文句を言いそうだ。</p><p>ここのところ、遅れて来た五月病なのか、やる気が起きない、覇気が無い。何事もお笑いタレントの“はなわ”が真似する武蔵丸のように「めんどくさい」そして「やりたくない」っていう困った状態だ。</p><p>気付くと、口から出るのは「ファイト！！」なんて自分や周りを鼓舞する言葉ではなく「フー」と、ため息ばかり。この「フー」が風船玉のように形になったとしたら、今頃は首まで埋もれているのではないだろうか。それでも「かき分けて出るのも億劫」って“フー玉”に潰され圧死しかねない。困ったもんだ。</p><p>そんな私の気分が久しぶりに明るくなった一夕があった。</p><p>昨年まで隣の部署でアルバイトをしていた青年から「就職が決まりましたぁ」という弾んだメールをもらい、ささやかながら、お祝いの席を設けたのだ。</p><p>その元バイト君、松本零士が描く少年のような、髪がカールしてちょっと下膨れの可愛いキャラ、名前は公平クンという。私の実家の隣町に住んでいると聞き、隣の部署のバイト君だった頃から、ローカルな話題で盛り上がっていた。就職活動のためにバイトを辞めると言い出した時、半ば強制的にメールアドレスを聞き出し、それからは勝手にメル友に加え、毎日のようにメール攻撃をしていた。</p><p>祝宴の席はカレーが大好物という公平君のために、品川駅から徒歩７分、本格的インド料理の店デヴィ・コーナーを選んだ。店員が全員インド人、そしてお客もインドを筆頭に外国の方々が多い。食事中に（ここは何処？）と思う瞬間が必ずある。</p><p>ガーリックと蜂蜜が練りこまれた特性のナンに、海老の中辛カレーを乗せて口に運んだ公平君。どうかなと、その口から発せられるお言葉を待つ。「美味しい！！」やったー。「親を連れて来たいです」なんて最上級の褒め言葉が出てきた。子供の頃から連れて行かれて、お気に入りの東京タワーの足元のカレー屋さんがあるんだそうな。「そこより美味しいです！！」よかったぁ。</p><p>私も25歳（文句ある？！）とは言え、大学生の青年とサシでは場も白けるかな、話題につまるかなと、微かな不安を抱いていたが、このカレーの美味しさでスッカリ公平君は舌も滑らかに、お喋りにも興じてくれた。</p><p>まずは、本日の命題就職の話。社に居た時から「車が好きなんですぅ」と言っていたが、初志貫徹、希望の自動車メーカーから内定をもらうことができたとはにかむ。ン、公平君を命名するなら何王子が合うだろう。色白で髪が巻き毛で…カレー（華麗）王子？</p><p>法学部の公平君、メーカーと言ってももちろん製造に携わるわけでなく、営業、企画、経理、「何でもやるつもりです」と、嬉しそうに所信を述べた。その上、「海外勤務を希望すれば、今はインドという線がけっこう強いんですよね。毎日こんな美味しいカレーが食べられるならインドに行くのも悪くないなぁ」だって。</p><p>それにつけても、これから実際に入社するまでの約10ヶ月をどう過ごすのだろうと思って聞いてみたのだが、若人は逞しいなぁ。既に、来春までのアルバイトを見つけてあるのだそうだ。「来月から通います。で、その前に同じく就職が内定した仲間と海外旅行に行って来ます。この時期はツアーがとっても安いんですよ」。確か、内定報告のメールには「これから福岡に行って来ます」ってあったはず。福岡から帰って来たばかりじゃないの？　フット・ワークの良さに、出不精の私はただただ畏敬の念をいだくのみ。その上、それでも体がなまってしまっているから、今話題の“ブート・キャンプ”なるエクササイズに取り組むつもりでいるとのこと。そのハニーフェイスと華奢な体とは想像もつかない「ずっと、ラグビーやってたんですよ」の言葉にまたまたビックリ。「せいぜい、ブート・キャンプ頑張ってね」。</p><p>文武の文の方も、意欲満々。まずは法学部で学んだのだから司法試験は無理としても、司法書士の資格は取りたいんだそうだ。それから漢字検定にも合格したいと言う。「実は昨年受けて落ちちゃったんですよ。あと１問ってとこで」。では試しにと「ばらって書ける？」「しょうゆって書ける？」って心優しいお姉さんは聞いてみた。「ん…」。頑張らないと次回も落ちちゃうよ。ついでに「わかさぎは？」</p><p>海外旅行に出かけるに当たっても「英語を話せるようになりたいです。これからは、やはり必要ですよね」と、こちらにもかなり意欲的だ。「短期留学でもしたら」と水を向けると「そうですよね、その方が早いですよね」と、目を輝かせる。</p><p>すっごいなぁ、海外旅行、海外留学、アルバイト、資格試験、漢字検定試験そして、体力増強のためのブート・キャンプ。トライしたいことが次から次から出て来て、その全てに前向きに頑張る。そんな若さ溢れる爽やかな姿を見ていたら「遅れて来た五月病は重い」なんて言ってはいられない。ヨ〜シ、私も……やっぱりめんどくさい。</p>]]></content>
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  <title type="html"><![CDATA[障子の張替え]]></title>
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  <updated>2007-06-09T15:00:00Z</updated>
  <published>2007-06-10T00:00:00+09:00</published>
  <content type="html"><![CDATA[<div class="rightbox"><a href="http://shudai.com/media/2/20070610-shoji.jpg" class=”highslide” onclick="return hs.expand(this)"><img src="http://shudai.com/media/thumbnail/2_20070610-shoji.jpg" width="200" height="139" alt="障子の張替え" title="障子の張替え" /></a></div><p>従姉妹に手伝ってもらって、障子の張替えをした。いえいえ私が手伝って障子の張替えをしたが正解だった。</p><p>破ったり穴を開けるわけではないが、和室が南に向いているせいで障子が陽にやけ裂けてしまうのだ。裂けている障子に気付いたのは大分前だが、暫くは見なかったことにしていた。見てない障子の裂け目は無いのだ。けれども、見ないふりができないくらいに、いつの間にか裂け目が大きく口を開けだした。それからは、紙テープで補強に努めたが、風が吹くとテープが負け、裂け目が開いてバサバサと音まで立てる事態に。</p><p>さすがにここまできては張り替えを考えざるを得ない。でも、どうやって？こんな時に泣きつくのは２歳年上の、しっかり者の従姉妹ということになる。なかなか時間が取れないという従姉妹だが、どうせ長らく放ったらかしにしていたのだから、ここは機嫌を損ねないよう、お声のかかるのを待つことにする。</p><p>やっとこ「今度の土曜の午後なら行ける」という連絡が入り、ちょうど私も休める土曜だったので、待機。障子紙も用意して来てくれるという有り難いお言葉に「出来れば、もう破れることのない金属繊維か何か入ったのを」と調子に乗って頼んで「どんなんだって、張り替えられればいいでしょ？！」と叱られてしまった。はい、どんなでも結構でございます。</p><p>さて当日、あんまり煩く言ってもと思いつつも時計を見ると２時を30分も過ぎている。確かに「土曜の午後」としか約束してないのではあるけれど、ちょっと心配になって逆鱗に触れないことを祈りつつ電話をしてみる。なにしろ、全てをお任せの身と致しましては神経使います。「ごめんごめん、ちょっと子供の用事が入っちゃった。もう直ぐ出るから」って。そちら埼玉の片田舎ですよ、そしてこちらは都内も山手線の内側よ（おほほ）。いったい何時に着くんじゃい。でも、陽も伸びたことですし、ぐっと堪えて「暗くならないうちに着く？」と聞くと「大丈夫、着く着く。それより古い障子紙くらい剥がしておいてね。水で濡らせば綺麗に剥がれるから」と、宿題を出されてしまった。やはり、おとなしく待っているべきだったかも知れない。</p><p>仕方ない、ここは宿題をしながら従姉妹殿のご到着をお待ち申すしかない。水で濡らすとなると敷居から外して、ベランダで事を成すことに致そう。ン、なんだってこんな言葉使いになってしまったのであろう。障子から和風、江戸時代と単純な脳細胞が働いてしまった結果でござろう。</p><p>肝心の障子が、押しても引いても頑として敷居から外れてくれない。仕方が無いので、とりあえずそのままの状態で、障子を破る。昔、実家の大掃除で豚弟と競って破っていた頃は楽しかったが、宿題となると何事もつまらないものに変わってしまうのは何故だろう。</p><p>さて、桟にこびりついている紙を剥がすにはどうしても、敷居から障子を外さなくてはならない。非力の姫体質に渾身の力を込めて、ググッと障子を引くと、畳がズズッと嫌な音はしたものの、どうやら擦りむけ状態は免れたようだ。</p><p>やっとこ障子をベランダに出し、桟に残っている部分の剥がし作業開始。従姉妹は「濡らせば綺麗に剥がれる」と言っていた。バケツに水を汲み、雑巾を濡らして桟を拭く。落ちない。力を込めて、ワッセワッセ。ん〜。きっついなぁ。やっとこ剥がれた水に濡れて縮こまった小さな紙がベランダ中に散らばる。とっても見苦しい光景だけど、今は無視。後で、みんなまとめて片付けることにする。それにしても従姉妹はまだかいな？！</p><p class="kagi">「噂をすれば陰」というのは、どうやら独り言でも当たるようで、心で噂をしていたら途端にチャイムが鳴って、女剣士のように丸めた障子紙を抱えた従姉妹が登場した。</p><p>私が、宿題を褒めて欲しい生徒のように「ほら、障子剥がしたよ。すっごい大変だったんだからぁ」と、桟だけになったベランダの障子を指差すと「もう１枚はまだやってないのぉ？！」と不平タラタラなニュアンスのお言葉が返って来た。「破けてるのは、綺麗に剥がしたよ」の言葉を発した途端に「バカじゃない？！」と、冷たい言葉が飛んできた。「障子は対になってんでしょ。片方だけ新しくしたら、もう１枚の汚れが目立ってしょうがないじゃない。バカじゃない？！」。ニ、２度も言わなくても…。</p><p>それからの女剣士、動きの素早いこと力強いこと。１枚、残されていた障子をいとも簡単に、桟からはずしベランダへ出す。濡れ雑巾も濡れ雑巾、ビショビショの雑巾で障子の桟を端から何度も撫でる。私が剥がしておいた方の障子を綺麗に拭きなおして座敷に上げ、「液状のりを買って来ようかと思ったけど、これだけの桟があったら、やっぱり刷毛で塗った方が早いわね。昔の人はよく考えてるわ」なんて、盛んに感心しながら『舌切り雀』の雀が舐めたような糊を刷毛につけ、サッサと桟に塗って行く。そして、剣ならぬ障子紙をその上に滑らせて、カッターで丁寧に切ったら「はい、１丁上がり」。</p><p>そして、ベランダで水びたしにしたもう１方の障子紙の端を摘んで、ヒョイと剥がすとアラ不思議？！　全く抵抗なく、障子紙が剥がれる剥がれる。桟にへばりついた汚い紙の屑も出やしない。私のあの苦労は一体なんだったのだろう。</p><p class="kagi">「濡らせば、綺麗に剥がれるって言ったでしょ」。ごもっともでございます。</p><p class="kagi">「その障子の桟が乾くまで、マンゴーを持って来たから食べよう」。あらら、お土産まで恐縮でございます。ここぞと、知ったかぶって賽の目に包丁を入れた途端に「包丁は斜めに入れるのよ」って従姉妹の声が飛んできた。またもやアララ。「ま、食べられないわけではなし」と言いつつ、明らかに呆れている従姉妹の目がそこにあった。</p><p>働いた後の（？）マンゴーは、丁度食べごろで美味しかった。従姉妹の「マンゴーって、柿と味が似ていない？」という問いかけには大いに同意。東国原知事がやたら紹介している、何千円もするマンゴーは口にできないが、柿なら実家の庭に毎年生る。さすが私の従姉妹、イイトコに目をつける（洒落よ、シャレ）。</p>]]></content>
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  <title type="html"><![CDATA[ＭＭＫ]]></title>
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  <updated>2007-06-02T15:00:00Z</updated>
  <published>2007-06-03T00:00:00+09:00</published>
  <content type="html"><![CDATA[<p>インターネットで「あなたのモテタイプチェック」なるものをやってみた。出てきた結果に、笑わずにはいられなかった。</p><p class="kagi">「色っぽいと言われるセクシーアマゾネスタイプ」と来た。色気の“い”の字も無いと常々言われているこの私が？！　内容を読んで又もや苦笑。</p><p class="kagi">「自分では意識していないかもしれませんが、あなたは色気を感じさせるタイプです」。そうだったのだぁ。自分だけでなく周りまでもが、今までは思い違いをしていたらしい。私には意識していない色気があったのね。</p><p class="kagi">「女性的なしぐさ、言葉遣い、雰囲気に満ちており、自然とフェロモンを発散していそう」。いえいえ、言葉遣いの悪さは天下一品。何しろ「茨城県と埼玉県人は敬語を知らない」と言われる埼玉県の産でして、入社早々に先輩から「姫宮さん、局長に向かって口の利き方が慣れなれし過ぎるわよ」と注意されたことがある。「だってぇ、普通でいいって局長が言ったんだもん」って、これがいけないのか。（私以外の茨城、埼玉の皆様ごめんなさい）。それにしても自然に発散している私のフェロモンって一体どんなものなのだろう。</p><p class="kagi">「気に入った男性の前では、胸元を強調した服で、色っぽいポーズが効果的です」って。ここに至ってやはりこれは大外れが確定だ。だって強調したくても胸元自体が無いのだから。何しろ正直者のガキンチョと一緒にお風呂に入った時「女なのになんでおっぱいが“無い”の？」と言われたこの私である。“小さい”ならまだしも“無い”と看破した「アンタは偉い！」</p><p>世の中には”ＭＭＫ”と称される人がいるのだそうだ。ＭＭＫとは「ＭＯてて、ＭＯてて、ＫＯまる」の略だとか。一人旅でもしようものなら、新幹線の近くの席に座った男性共が、お茶だ、お弁当だ、缶コーヒーだとＭＭＫに捧げもつ。下車駅が近づけば、我先にと荷物を運んでくれたり、目的地でもないのに降りて見送ってくれる人まで現れるとか。それが、いつでもどこでも当たり前の光景らしい。大分前のテレビ番組に自他共に認めるというＭＭＫさんが登場していたことがある。見た目も体型も、ダントツの美女でもシコメでもないごく普通の、しかも中年を過ぎた、よくみかける近所のオバサンといった感じだった。</p><p>なのに、なぜか彼女が登場したとたん、スタジオの雰囲気が和み、いつも毒舌の男性司会者が始終柔和な笑顔を絶やさずに質問していく。なるほど、これがＭＭＫさんのＭＭＫたる所以なのかと、圧倒されたものだった。</p><p>でね、自慢じゃないけどこの私にも、その辺の威力はあるのではないかと思うわけ（ここ、桃井かおる風に）。</p><p>だって、女子校だった私が社会に出てからは、いっつもファンに囲まれて来たものよ。通勤電車では、毎朝同じ時間に乗ってくる青年達と22分会（８: 22発）なるものを結成して、今でいうところのブログのように大学ノートを回しては書き込みをしていたわけ。もちろんそのノートは最初の頁から最後まで、この私への質問や、この私を称える言葉で満ち溢れていたわン。真鍋かおるやショコタンではなく、初代ブログの女王はこの私だったというわけよ。</p><p>ところが半年後には当然のごとく、この姫を巡っての決闘勃発。結局は解散。♪喧嘩はやめてぇ〜　私のために争わないでぇ〜。果たして彼らは、今頃どこでこの私を思い続けていることやら。</p><p>そのしばらく後には“姫宮と愉快なオヤジ達”という時代もあったっけ。オヤジ達とは隣の部署に居た、どこから見ても狸そのまんまの大川氏、その大川氏の舎弟分にあたる、こちらはおサルさん風の森氏、そしてギョロッとして離れたおめめが特徴の、ケロちゃんこと田中氏だ。</p><p>３人とも私より遥かに年長、倍くらいの年のくせになぜか狸さんは私を「お姉さん」と呼んでまとわりついてきていた。おサルさんは、ちょっとニヒルぶって「おけい」と呼び捨て、そして一番紳士然としていたケロちゃんは、「お恵さん」と消え入りそうな声で呼びかけて来たものだ。</p><p>一人と三匹は、随分といろいろなところに出かけた。雪の日光に行った時は、ガキ大将のような狸氏が「雪合戦をしよう」と言い出し、子供のように４人はハシャギまくった。そこで、狸氏が雪の精のようなこの私に、まともに雪の玉をぶつけて来た。それを見て、ケロちゃんの詠んだ一首。『我が友の　投げし雪玉　君の頬に　弾けし時の　胸の痛みよ』。</p><p>お泊りで出かけた福井県は芦原温泉には、豚弟もついて来た。そして、豚君も加わっての４匹は、大浴場でも大騒ぎ。引率者の私は、老舗旅館の番頭さんに平身低頭。まったく年齢を考えたら逆だろが。</p><p>その晩は私と豚弟が同じ部屋、そして３匹は壁を隔てた隣の部屋で寝た。ところが、なんとなく違和感に襲われて眼を開くと、目の前に狸、サル、蛙の３匹の顔があるじゃないの。まるで、毒林檎を食べた白雪姫の顔を覗きこむ７人のコビトのようだ。私は毒林檎を食べたわけではないので、誰にもキスされずに眼をさましたけど、一体なんなのさぁ。３匹は隣の部屋だったはずでしょ？！</p><p>３匹が、横で大鼾をかいている豚弟の顔を見ながら言ったのは、「この２部屋、ベランダが続いてるんだよ。それにしても窓の鍵は開いてるし、役に立たないボディガードだなぁ」だった。豚弟も豚弟だが、なんなのこの３匹のオヤジ達！！</p><p>でも、それもこれもＭＭＫの私のせい？　私って罪つくり？</p><p>だけどマサちゃんに言われちゃうのよね「姫宮さんはモテますね。羨ましくないけど」って。多分、私も外野から見たら同じ思いだと思う。狸でしょ、サルでしょ、蛙でしょ、カッパもゲジゲジもいたなぁ。</p><p>ああ、世間様から羨ましがられるところの♂に、１匹でいいからもててみたい。</p>]]></content>
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  <title type="html"><![CDATA[チケット争奪戦]]></title>
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  <updated>2007-05-26T15:00:00Z</updated>
  <published>2007-05-27T00:00:00+09:00</published>
  <content type="html"><![CDATA[<p>絵美ちゃんから「今度の日曜日にパソコンを貸して下さい。お礼に餃子を作ります」というメールが届いた。</p><p>大好きなミュージシャン、角松敏生のコンサートのチケットを、ネットで申し込むのでＰＣを貸して欲しいという事らしい。機械にヤタラメッタラ強いくせに、絵美ちゃんは携帯電話もＰＣも持たないという、今時珍しい女性だ。</p><p>ちょっと前のチケット申し込みは電話予約だった。私もサザン狂いのアッちゃんに頼まれて、電話をかけまくった事がある。公衆電話だと繋がり易い、地方からの方が取り易いなどと噂が盛んに流れていたっけ。都内で自宅の電話からかけていた私は、結局、繋がらずお役に立つことはできなかった。</p><p>ネットの場合は、どんな噂がまことしやかに囁かれていることやら。それにつけても、前回までは一体、どこでネットを繋いでいたのだろう。「チケットは、角松仲間の松田くんが、手配してくれていたのです。今回は仕事の一連で、早朝から潮干狩りなんですよ」。なるほど。誰にでも事情というものはあるものだ。そこで出不精のこの私に白羽の矢が立ったというわけか。出不精の私は、出不精だからして余程のことが無い限り休日は部屋でダラダラしている。ただし友達の訪問は大歓迎、いつでもwelcomeである。</p><p>それにしても、休日は午後４時まで起きたことがないという絵美ちゃんが、角松のチケット争奪のために正午の受付開始に向け、11時半には我が家にやってくるという。もちろん午前のだ。“恋する乙女”って凄いのねぇ。</p><p>当日、午前11時半ピッタンコにピンポンと呼び鈴が鳴って、絵美ちゃんのご登場。時間に正確なトコも好きさ。それにしてもよく起きられたものだと改めて感心していたのだが、なんとウチに来る前に地元のローソンで別の日のチケットもgetして来たのだという。角松敏生恐るべし。</p><p>肉やら野菜やらの餃子の材料と、コーン・スープの材料を袋にいっぱい詰め込んで、絵美ちゃんはやって来た。でも、頭はあくまでも“角松敏生”。あと30分もあるというのに、私のVAIOちゃんの正面に陣取り、ネットの申し込みの頁までたどり着き、マウスにしっかと手をおいての待機。「ああ、ドキドキしちゃう」と言いながら取り出だしたるは、とっても見易いデジタルウォッチ。まるでオリンピックのアスリートがスタートラインに立っているようだ。</p><p>いよいよ、５分前。「すみませんラジオかけてもらえますか？」時報の、ピッピッピ・ポーンの最初のピで送信すると、ピッタシ正午に申し込みのメールが相手に届くんだとか。フライングは無効、遅れを取ればチケットは手に入らない。手に汗にぎる絵美ちゃんの息が荒くなってくる。こんな真剣な絵美ちゃん、見たことないぞ。</p><p>さて“ピ”が鳴りました。絵美ちゃん号、ダッシュ！！　ところが、画面が動かない。「ヒェ〜」絵美ちゃんの悲鳴がこだまする。私としては、ウチのVAIOちゃんの粗相かと冷や汗ものだ。ウチのVAIOちゃん、最低料金に価格指定しているので動きは早くは無いけれど、遠い異国のバングラディッシュやアメリカ西海岸のメル友とも、コンスタントに交信しているのであって、VAIOちゃんのせいではないからね。</p><p>絵美ちゃんも「分かってます。今、申し込みが集中してるだけですから」って言ってくれたのでホッ。それからは「ああ、固まっちゃったぁ」とか「ホワイト・アウトだぁ」とか「砂時計さえ出ない」と、嘆きの言葉が絵美ちゃんの口をついて出てくる出てくる。とうとう「姫宮さん、私に“落ち着け”って言い続けて下さい」と、普段の冷静沈着な絵美ちゃんからは信じられないようなご依頼まで受けてしまった。素直な私は、それからずっと「絵美ちゃん落ち着け」「落ち着け絵美ちゃん」と、喉を枯らしながら声援に努めた。</p><p>松田くん、のん気に潮干狩りなんぞしてる場合じゃないぞ。</p><p>その間、あまりに真剣な目でVAIOちゃんの画面を覗きこむ絵美ちゃんの姿に感動すら覚えた私は、買いたてのデジカメOLYMPUS・FE240で撮りまくり、なかなかの傑作ができたのだが、肖像権の関係でお見せできないのが残念。</p><p>とうとう絵美ちゃんは「今回は無理みたいですねぇ。角松がいけないんだ、100席なんていう所でコンサートをしようなんて思うから。ファンを分かってない」と、半ベソ状態。私も何も知らない角松ではあるが「そうだ、そうだ。素人だって100席くらい集められるぞ」って慰めているのだか煽っているのだか。</p><p>それからは絵美ちゃん、ショックを隠してしばし餃子作り。具を包むのは不肖“手がっけ”の私もお手伝い。「なんだ、やれば出来るんじゃないですかぁ」なんて、おだてられながら、これまた素直な私はお手伝いに努めたのだった。</p><p>チケット争奪戦から、しばし離れて絵美ちゃんの手作り餃子とコーンスープに舌鼓。まぁ美味しい。焼き方も片面にしたり両面焼いたり、まぁまめまめしく動いてくれること。動いて気を紛らしてるのかな？</p><p>山とできた餃子を食べて、コーンスープもお代わりをして、ビールとサワーもしこたま呑んで「帰る前にもう１度だけ」って、絵美ちゃんが画面をのぞいてドライアイになるくらいに目を見開いた。</p><p>なんと、全然行かないと送りつづけた申し込みメールが、全て相手方に届いており、４席分をまとめていた故、15回×４の60席分を申し込んでいたことになる。キャパ100席プラス立ち見なのに…。確認の電話が入り、了解して初めてチケットが発行されるということなので、６割占めの事態は免れるとのことで一安心。どうやらVAIOちゃんも絵美ちゃんのお役に立てたようでよかった、よかった。</p><p>ところが翌日、絵美ちゃんから追いかけるようにメールが届いた。「ごめん60席じゃなかった！　240席（４席×15回×４通）でした！　これは誰が見ても、あせってクリックを繰り返した結果だよね。店側も、ちゃんとわかってると思います」。</p><p>こういうファンを相手の“店側”に、すっかりご同情申し上げる次第であります。</p>]]></content>
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  <title type="html"><![CDATA[善意の傘]]></title>
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  <updated>2007-05-19T15:00:00Z</updated>
  <published>2007-05-20T00:00:00+09:00</published>
  <content type="html"><![CDATA[<div class="rightbox"><a href="http://shudai.com/media/2/20070520-kasa.jpg" class=”highslide” onclick="return hs.expand(this)"><img src="http://shudai.com/media/thumbnail/2_20070520-kasa.jpg" width="200" height="150" alt="傘" title="傘" /></a></div><p>“善意の傘”なるものが、局の入り口の傘立てに現れた。</p><p>透明のビニール傘が数本、共用の傘立てに並び、その上に“善意の傘”と書かれたステッカーが貼られている。１週間ほど前のことだ。それからは、その前を通る度に「いいでしょ？！」と、局の管理部員が声をかけてくる。管理部長までが「素晴らしいでしょ？！」って。どうやら、管理部が突然の雨の時に局員に使ってもらおうと思いついた企画のようだ。それを実行するにつけ、自己ＰＲ、自画自賛、手前味噌、善意の押し付けの雨嵐。私のように、雨が降るたび差してきた傘が自席に３本も４本もたまっている人間には、まったくもって有り難くもない行為であり、“善意”なる言葉を使うなら、人知れずこっそりおやりなさいと言いたくもなる。</p><p>この“善意”という言葉で、もうとっくに忘れかけていた小学生の頃の出来事を思い出した。アラ、懐かしい。</p><p>それは小学５、６年生の時のことだ。当時の担任は、今泉和夫さんという大学を卒業したばかりの新任さんだった。“聖職の礎”への理想を胸に、スクールウォーズの泣き虫先生や、3年Ｂ組の金八先生、熱中時代の北野先生よりも「子供達のために！！」と、マグマのように“燃える男”だった。</p><p>朝は、登校すると全員校庭を12周させられた。なんで12周だったのかは分からないが、余程の豪雨や雪で無い限り、今泉先生も一緒になって来る日も来る日も校庭を走った。思い返せば、そのお陰でお利口さんなのに風邪を引き難い体質になったのかも知れない。心臓も強くなりましたし。</p><p>先生のお宅にもクラス全員でぞろぞろと出かけ、近くの利根川に飛び込んで泳ぎまくったものだ。初めてお邪魔した時、割烹着姿で現れた先生のおかあさんが「かずおちゃん、生徒さんたちがいらしたわよ」と、今泉先生を呼んだのにはビックリした。それから当分の間、生徒達は「かずおちゃん」と呼んでは先生から拳骨で殴る真似をされて逃げ回った。暫くして、さだまさし似の今泉先生には“カマキリ”というあだ名がつき、もう「かずおちゃん」と呼ぶ生徒は居なくなった。果たしてどちらが今泉先生のお気に召したやら。</p><p>そんなクラスにある朝、闖入者があった。白い１匹の子犬だ。どこからともなく現れた子犬は教室の中で大人しく授業を受けるはずはなく、シッポを振っては机の間を走り回っていた。その当時は、鎖に繋がれずに自由に街中を歩いている飼い犬も多かった。でも首輪もしていない。教室から追い出しても追い出しても、なぜか５年３組の教室に舞い戻って来てしまう。</p><p>放課後に学校の近所の家を回っても、心当たりの人は居なかった。それからは「クラスで飼おう」という気運がもちあがった。多分、カマキリ先生も動物を好きだったのだと思う。生徒達が、名前を決めたり当番を決めたりしているのをソレが癖の、腕を組んだ姿で黙ってニコニコ聞いていた。そして一言「最後まで責任を持って育てろよ」。</p><p>カマキリ先生が、校長や他の教師をどのように説得してくれたのかは知る由もないが、翌日には、男子生徒が材料を持ち寄って作った犬小屋が、校舎の渡り廊下の近くに設置された。もちろん、引き取り手があれば直ぐに渡すという約束もできていたのだが、引き取り手が現れるどころか、５年３組の面々はそれからというもの憑かれた様に、捨て犬や野良犬を見つけては教室に運び込むという状態になってしまった。</p><p>最初のうちは、１匹１匹のためにクラスメートによるオートクチュールの犬小屋が用意されたが、10匹を越えるころになるとグラウンドの隅に大きな柵を作り、その中での放し飼いとなった。</p><p>毎日の当番、休みの日の当番、そして里親探し…。カマキリ先生との最初の約束を守り、５年３組の生徒達は各々が責任をもって掃除から餌やり、散歩と不思議なくらい統制の取れた毎日だった。</p><p>あの頃、子供ながらに皆よくやったと思う。それに他の教師やＰＴＡ、学校のご近所からも１件の苦情も抗議も無かった。そして、クラス内に犬が苦手だという生徒も居なかった。あれこれ考えると、今の小学校で果たしてあんな事ができるだろうかと思う。まず無理だろうな。今の世相だと、どこかで誰かが何かの不満や不安を持ち出して、全てが立ち消えになっていた事柄だろう。情操教育だなんて大上段に構えなくても、あの頃の子供達は自然にそんな教育を受けていたのだと思う。</p><p>そのまま翌年は“持ち上がり”、担任も級友も犬達も変わることなく６年３組になった。そして春、修学旅行の時には５年生が「先輩、心配しないで」と犬達の面倒を見てくれた。６年３組は修学旅行取り止めまで、真剣にクラスで検討していたのだ。きっと、何事も真剣にぶつかればどこかに道は開けるものなのだ。（何か、いつもの『大安』と違うぞ）</p><p>約２年間の犬との生活の中には、もちろん“死”という現実もあった。いくら大切に世話をしても悲しい死は訪れる。死んだ犬をダンボール箱に千羽鶴と一緒に入れ、近くの川に流しに行く。普段のいじめっ子が大泣きをしながらクラスメートの列に加わる。泣き虫の女の子がグッと涙を堪えて、そのいじめっ子の肩を抱きながら歩く。そんな光景が何度も見られた。</p><p>６年３組は卒業前に全員で、残っていた犬の里親を探し回った。その頃には地方紙にも取り上げられていたため、どうにか犬も無事に小学校を卒業することが出来た。</p><p>卒業式の式次第で、６年３組全員に卒業証書と共に“おまけ”が校長先生から手渡された。橘の、白い５枚の花弁の中心に朱で“善行”と書かれたバッチだった。６年３組の仲間は“善行”の二文字を胸に、堂々と校門を後にしたのだった。</p><p>翻って今の私は？　どうやら“善行”も愛情も小学校５、６年の２年間にお犬様に捧げつくしてしまった抜け殻がここに居るようだ。かなワンワン。</p>]]></content>
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  <title type="html"><![CDATA[豚弟]]></title>
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  <updated>2007-05-12T15:00:00Z</updated>
  <published>2007-05-13T00:00:00+09:00</published>
  <content type="html"><![CDATA[<div class="rightbox"><a href="http://shudai.com/media/2/20070513-shinmaru.jpg" class=”highslide” onclick="return hs.expand(this)"><img src="http://shudai.com/media/thumbnail/2_20070513-shinmaru.jpg" width="150" height="200" alt="新丸ビル" title="新丸ビル" /></a></div><p>今年もゴールデン・ウィークに２日も出社してしまった。しかも３日と５日という飛び石だったものだから、世間さまの９連休なんていう話とは、あまりにもかけ離れた悲しい現実の日々だった。</p><p>その上、例年のGWは人影のまばらな東京駅界隈が今年は新丸ビルのオープンで、家族連れがウヨウヨ。ディズニーのリュックを背負った子供達が嬉しそうにスキップしている横を仕事に向かう我が身が益々切なくなる。</p><p>GWも働いているということをアピールしようと、実家に電話を入れてみると、なんと豚弟も今年は出社していると母から聞いた。そうよね、お姉さまが働いているのだから、弟の分際で休んでいてはいけない。ほんの少しだけ、溜飲が下がった。</p><p>そっか、アヤツも出社してるのか…。</p><p>アヤツ、私より４歳年下の豚弟は既に２人の子供の父であり、会社では何を間違えたのか“部長”なんていう肩書きがついている。（アソコの会社も先が見えたな）と思うものの、豚弟も世間からみたらいっぱしの大人なのだと、ちと感慨にふける姉である。</p><p>ネタも無いことだし、今回は我が豚弟の話を。</p><p>豚弟は一途な男である。何しろ物心ついてこのかた、私は１度たりとも豚弟の痩せた姿を見たことがない。中学ではバレーボール部に所属していた。どんなに厳しい練習の明け暮れにあっても色白の豚弟は、そのままバレーボールのような顔をして、トスを上げ続けていた。高校では野球部に入ったが、入部したとたんにピッタリのポジション、キャッチャーを仰せつかった。足の遅い分、滑り込んでくる対戦相手には、もてあまし気味の肉そのものでホームを守り抜いたらしい。</p><p>そして、大学への受験戦争に突入しようが、どうにか入学して片道２時間もの電車通学を経験しようが、１ｇも痩せることなく通いとおした。現在もほぼ同じくらいの距離を通勤しているが、これまたまったく痩せる気配はない。まったくもって筋金入りの、それでいながらぷよぷよの、一途な“おデブさん”なのである。</p><p>豚弟はネズミに弱い。ゴキブリなら丸めた新聞紙で退治できるのに、どんな状況でもネズミと聞いただけで、外へと飛び出す。豚弟が大学生の時のこと。もういかげん大人だし、大丈夫だろうと、丸めた靴下を豚弟の部屋に向かって投げ入れ「ネズミだぁ！！」と叫んでみた。すると、その叫び声よりも大きな「ギャオ！！」というゴジラのような悲鳴を発して、まるまると太った豚弟が裸足のまま庭へ飛び出した。あれには家族一同、口をアングリ。豚弟の前世には一体何があったのだろう。</p><p>そんな豚弟に嫁いできた義妹は９月末生まれの、正真正銘ネズミ年だ。どうりで豚弟は、何から何まで義妹に、頭が上がらないのだなぁ。母や、姉であるところの私には大威張りのくせに、義妹の言う事だけは、どんなことでも素直に聞き、その命令には忠実に従っている。いつも私は義妹に言ってやる「姫宮家では息子も弟も冷たいけど、お宅の旦那様は優しいワネェ〜」って。</p><p>豚弟はアルコールがカラッキシ駄目である。これはどうやら遺伝らしい。父も祖父も、父方の伯父達も、全て下戸の家系である。大学に入ったばかり頃には未成年のくせに粋がって、ミニチュア・ボトルの様々なお酒を買い込んでは棚に飾っていた。そして、成人する日を指折り数えて待っていたものだ。</p><p>しかし、いざ二十歳になり乾杯の段になったら、今風に言うところのリバースして、ぶっ倒れるという情けなさ。トラ兎で気性が激しく、尚且つ「斗酒辞さず」の家で育った母からは「もったいない！　出すなら飲むな！！」と面罵されていた。</p><p>それからはスイーツでさえ、アルコールが入っていると体が受け付けなくなってしまったようだ。知らずに食べてしまった時なぞは、そっと自室に逃げ、ベッドに倒れこんでいる。以前、同じ部署にちょっとでもアルコール分の入った物を口にすると、リトマス試験紙ヨロシク真っ赤になっていたオジサンがいたが、正しく豚弟も同じ道を歩んでいるようだ。</p><p>豚弟は子供である。出来すぎの姉をもった弟は愚弟であるのは世の習いだとは思うが、なかなか大人になりきれずにいる豚弟である。２人の姪が幼い頃、雪なんぞ降った日にゃぁ、飼い犬のチョコよりも早く、大喜びで近所の公園に駆けて行き、汗をかきかき積雪でジャンプ台を作り、先頭に立ってソリ遊びをしていた。車のトランクにはダンボールの箱を平らにしたものが常に入れられており、それも又、川原の土手でのソリとなるのだった。</p><p>ノーテンキな義妹は「うちのパパは子供と遊んでくれる」と評価していたが、当の姪たちは「パパが遊びたいのよねぇ。私たちつきあってあげてるのよ、疲れるけど」などと覚めた目で豚弟を見ながら、コッソリ伯母様の私に教えてくれたことがある。もちろん口の堅い伯母様は、豚弟や義妹に今のところご注進はしていないが、いつかは言ってやりたいものだ。</p><p>豚弟は残念乍ら、私の弟である。</p><p>そうなのよねぇ、４歳年下の豚弟は近所の叔母さんに「風呂敷を被せておきな」と言われたくらい、生まれた時から豚弟だった。けれども優しい姉を慕う心はもっていたらしい。姉の通う幼稚園にとぼとぼと後をついて来て、水溜りで頭を洗うなんてこともやっていたと、母から聞いたことがある。優しい姉のランドセルを「出しっぱなしにしていると捨てますよ」という母の言葉そのままに、家の外に捨ててくれたこともある。幼いころから姉の苦手な肉を、セッセと横から平らげてくれていた。お陰で姫宮家のカレーライスは拾い出せない挽き肉と化した思い出もある。</p><p>そんな豚弟がいたからこそ、この姉の美しさ賢さ、優しさ清らかさetc・etcが一層、引き立ったということで、その存在を認めてやると致しましょうか。</p>]]></content>
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  <title type="html"><![CDATA[困った再び]]></title>
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  <updated>2007-05-05T15:00:00Z</updated>
  <published>2007-05-06T00:00:00+09:00</published>
  <content type="html"><![CDATA[<p>珍しく４連休になった２日目の夜、パソコンを立ち上げて友達にメールをしようとしたら、パソコンは立ち上がるもののネットに繋がらなくなってしまっていた。</p><p>「サーバーが見つかりません」と、冷たいメッセージがでるばかり。んなアホな。</p><p>独りポッチの寂しい連休に、メールも出来ないなんて…。</p><p>使えないと思うと、余計に使いたくなるのが人情。こうしてネットを開けないでいる間に、素敵な王子様がこの姫に向かってハート・マークいっぱいのメールを送っているかも知れない。姪達が「どうしても、憧れの伯母様に会いたくて東京サ出てきました。迎えに来て下さい」なんて東京サのど真ん中で、心細くしているかもしれない。はたまた、応募した懸賞の「おめでとうございます。貴方さまが当選です。ついては１時間以内にご連絡下さい。さもないと賞品はあげないもんね」なんていうメールも届いているかもしれないではないか。</p><p>焦る。私は焦る。</p><p>そして、機械に関する知識の全くつまっていない頭で考える。一体どういうことなのだろうか、と。一体、何が原因なのだろうか、と。</p><p>原因は１ツだけ思い当たった。実は、有楽町はそごうパートから生まれ変わった（何年前の話しだ？）ビックカメラにプリンターのインクを買いに行った時、新しいデジカメを衝動的に購入したのだ。OLYMPUSのFE240。数年前に、窓から見える富士山（自慢です）が撮りたくて、Nikoncoolpix2500というのを買って持っている。確かに富士山は折りにふれ撮ったのだが、本体が重たいし、バッテリーが充電しても直に「残りわずか」の表示が出るようになってしまっていた。クリスマスに恵比寿ガーデンプレイスに行った時、リカコが持っていたデジカメは薄くて超軽量、そのくせ画面は大きいし画質も綺麗。いいなぁ〜と指を咥えて見ていたものだ。その、リカコが持っていたようなコンパクトなデジカメが売るほど並んでいる様を見て、思わず買ってしまったのよねぇ、オレンジ色のケースまでつけて。</p><p>係りの、ちょっと太目のお兄さんが、付属品を色々説明してくれる。その中で「撮った写真を簡単にPCに取り込むためのCDがついています。こちらをインストールして下さいね」と、おっしゃった。素直な私は、帰ると言われた通りに早速、インストール開始。「次へ、次へと出てくる通りに進んでいただければ大丈夫ですから」と、太目のお兄さんは言っていたし、実際に画面にはその通りに出てきたので、次へ次へと進んだら、なんだか色々な表示がフロント・ページにいっぱい出てきてしまった。そこで私は（なんか邪魔だなぁ）と、こちらも次へ、次へと削除してしまったのだ。</p><p>もしかして、あの中に捨ててはいけない大事な基幹が入っていたのかもしれない。とっても不安になって、パソコン・メンテナンスのプロ（？）であるところのリカコにSOSを出した。メールを送ろうにも繋がっていないので、苦手な携帯でのメールである。指をつらせながら「SOS、助けてぇ。PCがネットに繋がらなくなってしまいましたぁ」。この１行打つのに、どんだけ時間がかかったか。</p><p>心優しいリカコは、お友達と盛り上がっていた酒宴の中で「どうしましたか？」と電話をくれた。かくかくしかじかと話すと、テキパキと指示をくれる。けれども…駄目、繋がらない。「実は・・・」と、懸念材料を申し立てると「でも、削除したのはゴミ箱に入ってますよね」「ゴミ箱も空にしちゃいました。綺麗好きだもので」「・・・」</p><p>その後にも、様々な試みを教えてもらったけど全敗。使っているケーブルTVに連絡するようにというアドバイスを受けた。</p><p>そうそう、品川ケーブルＴＶには日ハム仲間の、桜塚やっくんに似たトモちゃんが居た。今度はトモちゃんに電話。「私は、パソコンのメンテナンスはよく分からないので明日にでも○○に電話してみて下さい。それにしても日ハム、勝てないねぇ」。そうなのだ、一昨年優勝したロッテが、昨年苦渋の年だったように日ハムも今年は楽天と最下位争いの真っ最中なのだ。んなことは兎も角このままでは、福岡のソフトバンク・ファンにも、お父様は日ハムファンなのに本人は巨人ファンというタカちゃんにも、もちろん札幌の皆々さまにもメールを打つことができない。ドにかせねばならないけど、今夜のところはドにもならないと、諦めて早々にお風呂に入って寝ようと思ったら、浴室の電球がパッシッと音を立てて切れた。もぉ、なんなのさぁ。そう言えば、聞いたことがある。夫婦が離婚する時って、次々に家電品が壊れていくという話を。独り者の私の回りで物が壊れて行ったら、一体何と別れりゃいいのさ。</p><p>土日・祝祭日でもネット接続のメンテナンスをしてくれるというのを幸いに、翌日のハッピー・マンデーには、早々にトモちゃんに教えてもらった品川ケーブルテレビのインターネットサポートサービスの○○さんへ電話をかけた。かくかくしかじかと話すと、関西弁で指示が来る。電源を落としたり、入れたりでけっこう時間があく。「あのぉ、関西の方なんですね」と話しかけると「分かりまっか？」って、メチャメチャ関西やん。ちょこっと世間話も交えながら、指示に従っていたらアラ繋がったぁ。バンザイ！！</p><p>で、結局のところは「金曜日の夜からお宅の辺りは工事をしてまして、その影響でっしゃろ、えらいすんまへんなぁ」と謝られておしまい。まぁ、やんわりと関西弁で謝られては仕方ない許したるぅ。</p><p>こうして、４連休の３日目は過ぎようとしている。</p><p>それにしても、リカコ、トモちゃん、そしてトモちゃんが紹介してくれた関西人さんと、友達の輪は、つくづくと有り難いものだ。これも全て、私の日ごろの行いのせい？！</p>]]></content>
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  <title type="html"><![CDATA[蒲田さんと一緒]]></title>
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  <updated>2007-04-28T15:00:00Z</updated>
  <published>2007-04-29T00:00:00+09:00</published>
  <content type="html"><![CDATA[<p>職場の雰囲気が、たった一人の人間の入れ替わりで、こんなにも変わるとは。</p><p>蒲田さんが、暗くて重くて攻撃的だった隣人と、春の人事異動でチェンジになってからほぼ２ヶ月。毎日、半端じゃなく楽しませてもらっている。</p><p>６年程前に１年間、同じ職場で机を並べたことがあり、その人となりは充分承知していたはずなのだが、蒲田さんはこの６年間で長足の進歩（？）を遂げていたらしい。周りに与える、スリルと癒しという両極端のパワーに圧倒されて、まぁ時間が経つのが早いこと。</p><p>まずは、デスク周りが“蒲田さんここにあり”を主張している。ご本尊のデスクと、両脇に置かれたＰＣ用の予備デスク、合わせてほぼ３台分が、アッと言う間に書類の山と化してしまった。蒲田さんの左側は、スタッフさんが使っていたはずだし、右側は私が利用していたはずなのだが、そんなことはお構いなし。国境無き医師団なら素晴らしいが、境界無き侵略者には困ったものだ。せめてもと「共用部分（いつの間に？）には、絶対に液体は置かないこと！」と、きつくお達しを出した。</p><p>入社早々に蒲田さんは、この部署に身を置いたことがあったらしい。なので、引き継ぎも余裕のヨッチャン（古ッ）。「やったことあります」「知ってます」「分かります」と、ポジティブな言葉ばかりが飛び出す。そして「私、エクセル得意ですから」と大見得も切ったものだ。</p><p>グアッ。いざ、蓋を開けたらさぁ大変。「おかしいなぁ」「へんだなぁ」「難しいなぁ」と、間逆な言葉ばかりが聞こえてくる。そして、それと同時に「姫宮せんせ〜」「姫宮さまぁ〜」「け・こ・ぉ・さぁぁぁん」と、私にＳＯＳを発する声が悲鳴のように響き渡る。</p><p class="kagi">「知ってるって言ってたでしょ？！」と言うと「聞いてる時は簡単に思ったし、覚えてると思ったんですけどねぇ…」って。どちらにしても、明るくゴロニャンされては拒むこともできない。出社したら退社するまで、耳に「姫宮さぁ〜ん」「ケッコさ〜ん」の声がこだまする。新人研修等でティーチングは上手と定評（オホホ）のある私故、どんなアホな、おっとぉ、どのような低次元の、ちゃうちゃう、どのようなお悩みにも優しくお答え致します。（占い師か）。</p><p>しかし、あまりにも頻繁に声はかかるし、すぐ横に来て至近距離で顔を覗かれると、思わず「シッシッ」と言いたくもなる。けれど「シッシッ」と言っても、いっこうに自分のデスクに戻らない。ある時、あんまりくどく「でね、姫宮先生ここはさぁ」とか「あそこはさぁ…」と、言ってくるので、思わず蒲田さんのデスクを指差して「ハウス！！」と言ってしまった。するとアラ不思議、スゴスゴとご自分のデスクに戻るではないの。これだぁ。それからは、「ハウス」を重宝に使わせてもらっている。そして、その言葉で席に戻る蒲田さん。きっと、この素直さが失敗しても周りから疎まれない理由の一つなのだろう。</p><p>ある日、蒲田さんの向かいの席に居るために、私が休むと質問攻めに遭っている青年Ｓが、泣きついてきた。「あのぉ、蒲田さんてエクセル得意だって仰ってましたよねぇ」「そうね、私もそう聞いたワ」。「あのぉ、蒲田さんエクセル、開けないんですけど…」「？！」。</p><p>この衝撃を何に例えましょう。蒲田さんのことも知っている友達の絵美ちゃんに、この事実を伝えると。「笑点なら座布団もらえるよぉ」と、大いに受けてくれた。</p><p>絵美ちゃんと私は大受けで笑ってられるのだが、青年Ｓは、それからというもの蒲田さんの「エクセル、最初の１歩から」のご指導にこれ勤めなくてはならなくなった。「アッ、そこは押しちゃ駄目」「ウインドゥは１つ開いたら１つは閉じる。なんで20個もいっぺんに画面が並ぶの？！」「ウィンドゥ１つを消すのに、なんだってＰＣを閉じちゃうの？それじゃ最初の立ち上げから始めなきゃならないでしょ？！」。ウム、ご苦労さま。それにしても、いつからここは“アビヴァ”になったのだろう。</p><p>“聞くと見るとは大違い”を地でいっている蒲田さんに聞いてみた。「エクセル得意だって言ってたよねぇ。その自信はどこから来るの？」「前向きに、自分に暗示をかけてるんです」。なるほどぉ、心がけはとっても立派だ。内容が伴ってくれたら、なおけっこうなんだけどねぇ。</p><p>いっつもニコニコ笑顔の蒲田さんなのだが、その笑顔に騙されてはいけない。ニコニコとこちらの話を聞いていると思っていると、ドリフターズやたけし軍団よりも、モロにズッコケて、ぎっくり腰にもなりかねない目に遭わされる。</p><p>人事考課なる作業のために、部長と部員がサシで話す時間を決めている時のこと。どこの部署でも同じ時期に同じ作業が始まるわけだから、場所を確保するのが大変だ。なので、我々の部署は、某日の午前中しか応接室が取れないという報告を私はしていた。「…ということで、○日の午前中で希望の時間があったら言って下さい」と。すると、蒲田さんが元気に手を挙げて答えた。「私は午後の２時でお願いします」。あのさぁ、人の話聞いてた？</p><p>わが部署は、世間様に逆らって（？）未だに土曜出社、日・祭日の出社が当たり前になっている。一人だけ出社という場合もかなりある。その一人だけの休みの当番が蒲田さんに回って来た時のこと、なんと部員全員が（こっそり、自分も出よう）と考えていたということが判明。やっぱり蒲田さん一人では心もとないというのが一致した思いだ。だけど、これって凄いことですよ。皆の心が一つになって、蒲田さんのために大切な自分の休みを使おうというのだから。結局は、蒲田さんのパソコン個人教授に就任した青年Ｓが一緒に出社するということで、落ち着いた。</p><p>週が明けて「どうだった？」と青年Ｓに聞くと、普段は６時前には終わる仕事が８時過ぎまでかかったという事だった。♪ほんとに、ホントニ、本当にほんとにご苦労さん。</p><p>この春までは、○ソ生意気な感じのする青年だったが、すっかり蒲田さんのペースに巻き込まれ毒気が抜けた気がする。</p><p>こうして周り中に、少なからず影響を与えながら、今日も我が道を突き進む蒲田さんなのだった。</p>]]></content>
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  <title type="html"><![CDATA[困った、困った]]></title>
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  <updated>2007-04-21T15:00:00Z</updated>
  <published>2007-04-22T00:00:00+09:00</published>
  <content type="html"><![CDATA[<p>困った、困った、いよいよもって本当に困った。</p><p class="kagi">『大安吉日ノーテンキ』４月22日付けの文章がまだ書けない。</p><p>そもそも、思い返してもみても無謀なのだ。特技＝無し。趣味＝無し。旅行もしなければ、食通でもファッションに興味をもつでもない。映画も観なければ、コンサートにも行かない。こんな、取り柄といったら美しさと気高さくらいのワタクシが（何か？）毎週、毎週コンスタントにエッセーを書くなんてこと、所詮、無理な話に決まっている。</p><p>そんな無理な話を、梁塵社という吹けば飛びそな、文字通り塵のように小さな出版社（ご免なさい）の編集長におだてられて引き受けてしまったのが2004年の７月。それからは、人参を目の前に吊るされ、お尻を蹴られながら必死にネタをみつけては書き続けて来た。</p><p class="kagi">“奇跡”って言葉があるのだから、奇跡は起こり、スラスラとエッセーが書けるようになる日が来ると信じてみることにした。</p><p>けれども、４月15日掲載分までは、やっとこすっとこ青息吐息で来たものの、息が絶える時がどうやら訪れてしまったようだ。もうもう、逆さに吊るされてもエッセーのネタもエの字も出やしない。もはやこれまで。刀は折れて、矢は尽きてしまいましたよ。</p><p>ああ、何かネタがあればなぁ。</p><p>その昔、特技は確かにありました「寝だめ」。ところが年を重ねるごとに、寝るにもエネルギーが要るということを知らされました。床に入っても、なかなか寝付かれないし、眠りは浅いし、早朝に目が覚めてしまう。それが平日だけでなく、せっかくの日曜日まで続くのだ。これでは「寝だめ」も何もあったものではない。</p><p>趣味は敢えて言うなら“テレビ観賞”だ。25歳という年齢と計算が合わないけれど、テレビが誕生したのと同じ年にこの世にお目見えした私は、テレビをこよなく愛している。テレビ・ドラマをビデオに録画して休日にゆっくり見るのも好きだ。</p><p>でもねぇ、リカコが撮ってくれた『のだめカンタービレ』のビデオをワンクール分、朝から晩まで、１日で全て見倒したなんて程度では、とてもとてもおこがましくて、声を大にして「テレビが趣味です」とも言えまい。</p><p>旅行に最後に行ったのは何年前だっただろう。絵美ちゃんに連れられて会社の寮がある熱海に出かけた。冬の花火を見ようというものだった。品川で落ち合って、東海道線各駅停車の旅。熱海と言ったら、私は新幹線か踊り子号しか頭になかったが、さすが旅慣れた絵美ちゃんは「それほど時間かからないし、もったいないですよ」。なるほど。１時間半程度の乗車で料金が二分の一以下で済むなんて、これは一考の価値あり。しかも、けっこう車内は空いている。絵美ちゃんはしっかり持参した缶ビールを空けている。飲めない私にはちゃんとグレープフルーツ・サワーを用意してくれているのが、ツアコン絵美ちゃんらしいところだ。ＢＯＸシートの東北本線（現・宇都宮線）では、懐かしがって乗り込んで来た同じ部署のオヤジと、上野の構内で買ったかまぼこを食べたこともあるけれど、横一列のシートでアルコールを飲んだのは初めてだった。</p><p>熱海の寮では、のんびりと早めの夕食を摂り終わった頃に、館内放送で花火大会開始直前のアナウンスが入る。皆さんそそくさと伊豆山の上に建つ寮のベランダに出て、遥かな海を見下ろし「玉や〜」の始まりを待つ。</p><p>さて、絵美ちゃんと私は、この時とばかりに皆様には背を向けて、大浴場に突進。電気を消してヌクヌクと暖まりながら、厳冬の夜空に広がる大輪の花火を２人占めすることができた。もちろん大浴場も。アッタマいい！！（絵美ちゃんがね）</p><p>その絵美ちゃんに指摘されるのが、食事に対しての思い入れの無さだ。食べ物に興味が強ければ東海林さだおさんのように、シリーズ化するほどのエッセーが書けた…かも知れない。しかし私の場合は東海林さんのような“あれも食いたい、これも食いたい”のこだわりもなく、まぁあれでもいいし、これでもいいかという程度の食への関心度だ。お腹が空いたら、何かを食べればイイヤという人間は、同じ物を食べ続けるのも平気だ。</p><p>神田明神下の銭形の親分を長年演じた大川橋蔵丈は、京都は太秦の食堂で、最初に薦められたうどんだか、お蕎麦だかをずっと食べ続けたそうな。さすがに見かねたお付の人が別の物を薦めると、今度はそれをず〜っと。食へのこだわりを、あまりお持ちでなかったのと、薦めてくれた人への気遣いとからだったのだろう。</p><p>私が、浅草はマルベル堂で、生まれて初めて購入したプロマイドが、凛々しい“銭形平次”に扮した大川橋蔵丈だった。やっぱり惹き付けあうものがあったのね。</p><p>いけない、いけない、神田明神下をお静さんを気取って歩いてる場合ではなかったのだ。時間が迫っている、仏の編集長の顔が鬼の形相に変わっていくのが見える。でも、ネタは無い。</p><p>絵美ちゃんに泣きつくと、サラリと言ってのけられた。「だからぁ、姫宮さんの話が１番面白いんだから、それを書けばいいんですよぉ」。男運の悪い姫宮話が、泣けるし笑えると言うのだ。そうよねぇ、初恋は転校してきた同級生だった。あっという間にレモンの香りの胸キュンな初恋をして、あっという間に転校されてしまったんだっけ。あの時は悲しかったなぁ。その衝撃が大きくて、それからはまっとうな恋に縁が無い。ちょっとイイナと思った人には、これまた、あっという間にストーカーに変身された。会社の階段で待ち伏せされたり、友達と入った喫茶店の横の席に座られたり、挙句には電車の動いていない時間にチャリンコで尋ねてこられたこともあったっけ。その後、どうしても好きになれず「ごめんなさい」した人からは石川達三著『幼くて愛を知らず』なんていう本が送りつけられ益々嫌いになったっけ。でも今にして思うと当たっているかも。</p><p>おっと、こんな感慨に耽っている時ではなかった。ネタは無いか、ノーテンキなネタは落ちてないものか。</p>]]></content>
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  <title type="html"><![CDATA[下妻物語]]></title>
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  <updated>2007-04-14T15:00:00Z</updated>
  <published>2007-04-15T00:00:00+09:00</published>
  <content type="html"><![CDATA[<p>フェミニン？</p><p>ここのところ、レースをあしらった服をよく見かける。しかも、スカートの裾からのぞいていたりするのが多いものだからチト困る。あれは“シミチョロ”ではないのだろうか？　と悩む。今では死語となってしまった、シミーズがチョロっとスカートから顔を出しているという意味だが、もしそうなら「もしもし…」って、ご注進申し上げなければ可愛そうだ。しかし、それがファッションだったら「大きなお世話よ」と言われるのがオチだろう。</p><p>数年前、母がタグを出して歩いている“お嬢さん”に「もしもし、服が表裏ですよ。タグが出てますよ」と教えて差し上げたところ「こういうデザインなんです！」と、キッと睨まれてしまったらしい。未だにその光景を思い出しては「人が親切に教えてやったのに、なんなのあの態度は」と、怒り狂っている。それからは、どんな格好を見ても「ああいうデザイン」と肝に銘じてグッと堪えているらしい。</p><p>それにしても、母の年代の人々には堪えねばならない事例が、巷にあまた溢れていることよ。縫い代が表になったカットソー、わざと色落ちさせたり穴ぼこだらけにした新品のジーンズ、下着のままで街中をかっぽしているようなキャミソール姿…。</p><p>昨日は、裾にレースがついた黒のダスター・コート姿のＯＬを見かけた。明らかに“シミチョロ”ではないと分かったが、ダスターコートの裾にレースはいくら流行と言っても違和感があった。だってダスターコートって埃（Dust）除けという意味合いのものでしょう。埃除けとレースはどう考えたってそぐわないでしょ。と、常識を考えていては今時のファッションにはついて行けないということかな。</p><p>それにしてもよ、ダスターコートの裾になんだってレースのヒラヒラがつかなきゃならないのか、どうしても理解に苦しんじゃうのよねぇって、くどい？！。なにしろ私は幼い頃から“シンプル・イズ・ベスト”がモットーの人間で、母や、私を舐めるように可愛がってくれた近所の斉藤さんチのおばちゃんが、可愛いもの、ピンクのヒラヒラがついたような服を着せようとしても、断固拒否。子供ながらに選ぶものと言ったら白・黒・紺・グレーという美輪明宏さまがごらんになったら「そんなの着てるから運気が下がるのよ」と言われる色ばかりだ。アッ、今頃己の運の悪い原因を知った。自ら招いたものだったのね。</p><p>母は“テーラーなにがし”から「養女に欲しい」と言われたくらいに器用な人で、紳士物のコートまで難なく仕立てる腕を持っている。なので私は、赤ん坊のミギリより涎掛けから始まって、社会人になっての第一歩である入社式でのスーツまで、全て母の手作りだけを纏って成長した。中学校、高等学校の制服ももちろん母の手作りだった。高等学校時代の制服はヒダのジャンパースカートに背広式の上着だったのだが、野暮ったい片田舎の中・高校生の中で、私の上着だけはウエストが絞られ、なかなかに“カッコ”良く自慢だった。</p><p>成人式も私は振袖ではなく、母にせがんでワンピースとコートを作ってもらいそれで出席した。黒地に、流石にこの時ばかりはピンクの花が咲く、ウールのレースでできたワンピースに、大きな襟のついた茶色のコートだった。式後、友達数人と一緒にスナップ写真を撮ってもらったのだが、この時、不思議な感覚を覚えた。スカートではあったけれど、洋装で真ん中に立ち、振袖の乙女に囲まれていると、まるで宝塚の男役にでもなった気分だった。なるほど、美しく着飾った女性をはべらすって、やっぱり気分の良いものなのね。鼻の下を伸ばしたオヤジの気持ちもちょっと分かった気がしたものだ。</p><p>こんなにまで母の手作りの服にこだわった私だが、いくら母が勧めてもピンクや赤やオレンジの布地は選ばず、デザインもそのまま制服になるような物にしか首を縦にふらなかった。なので、折角オーダー・メイドの服を着ることができるという贅沢な人生も、変わり栄えのしない服ばかり作ってもらっていたのだった。こんなに美しく可愛い一人娘、母はさぞ飾り立てたかったろうに。さぞかし飾り甲斐もあったろうに。</p><p>そして歳月は流れ、今頃になって（親の意見とナスビの花は…）の言葉をかみしめている。やっぱり可愛い服は、着て似合う時期に着ておくべきだったと後悔しきりの日々なのだ。だって、今すっごぉくピンクのフリフリの服や、うさぎちゃんのように白いモコモコの服を着てみたいなぁなんていう思いに陥っている私なんですもの。ウフッ。って、可愛い子ちゃんキャラで言ってみました。</p><p class="kagi">『下妻物語』に出てくる深田恭子のようにピンクのフリフリの服を着てみたい。歌手の浜崎あゆみのように、フランス人形のような格好をして、スカーレット・オハラが被ったような帽子をかぶり、その帽子から伸びた飾りのリボンを大きな蝶ちょ結びにして首もとを飾ってみたい。なんなら、秋葉原のメイド喫茶や、アンナミラーズの制服でもいい。</p><p>でも、今更そんな格好をして歩いたら、行き交う人の目が点になってしまうだろうな。ひきつけを起こす人が続出してしまうだろうな。</p><p>仕方ない、ここは“欲望”をグッと抑えて、リカコに髪を“亜麻色の髪の乙女”色に染めてもらい、ピンクのカーディガンでも着て、春の陽気の中をスキップすることでガマンしましょうか。</p><p>社内のバーコードおじさんが「毛のあるうちにオールバックを１度やっておけば良かったよぉ」としみじみと言っていたことがある。やっぱりねぇ。</p>]]></content>
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  <title type="html"><![CDATA[髪]]></title>
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  <updated>2007-04-07T15:00:00Z</updated>
  <published>2007-04-08T00:00:00+09:00</published>
  <content type="html"><![CDATA[<p>あ〜あ、又こんなに暗い色になっちゃったぁ。</p><p>休日の昼下がり、自分で髪を染めた。白髪染め？　イエイエ、私の場合はあくまでも“おしゃれ染め”よ。</p><p>正直なところ、ちょっとは白髪もあるけれど友達に「嫌味だ」と言われる私の髪は、真っ黒くろすけなのだ。多い・固い・太いという乙女としては三重苦の上に、昔なら褒められたかも知れない烏の濡れ羽色である。それでも“市松人形”のようにストレートなら、いかにも日本女性らしく美しいと思うが、私の髪は、やたらめったら広がって、ちょっとでも伸ばそうものなら肩幅からはみ出してしまう。実家で泊まった翌朝は、姪達から「チャーちゃん（私のこと）、髪が爆発してるよ！」と、よく言われる。</p><p>身長が低い私は、この多くて、太くて、真っ黒な髪のせいで体のバランスが非常に悪い。ただでさえ“でかい顔”して生きている上に、大量の黒い髪が被さるわけだから、正面から歩いて来る人からしたら、その表面積の比重で水木しげる先生描くところの“倉ぼっこ”か“砂かけ婆”くらいのインパクトがありそうだ。できることなら、子供の“倉ぼっこ”の方でご勘弁願いたいところだが。</p><p>せめて、髪の色を明るくすることで頭の重い印象を消し去ろうと、昭和ではヴィレッジ・シンガースが、そして平成になって島谷ひとみが歌った♪亜麻色の髪の乙女、目指して髪のカラーリングに挑戦した。</p><p>最初は、やはりプロにお願いしようと美容院でカット＆カラーリングを頼んだ。ところが、かなり短めにカットしてから染めたはずなのに「カラー液が、お客様の場合、普通の量では足りませんでしたので１.５倍のお値段を頂戴します」だって。やる前に言ってよね。それにしても、ロングの友達でも「そんなこと言われたこと無い」と、驚いているくらいなのに、どんだけ私の髪は多いと言うのか。そうそう、言われたことがありましたっけ「お客様の場合、普通の人の３倍の量がありますね」って美容院で。</p><p>なるほど、肩がこるはずだ？！</p><p>髪を染めてもらっていた美容院が、ある日忽然と夜逃げをして消えてしまった。それからは、その美容院の向いにある、その名も“セビリヤ”という理髪店に行って髪をカットしてもらっているのだが、理髪店故お客は私以外は皆オヤジである。そんなトコで時間のかかるカラーリングはしたくない。自力更生ということになったのだが、これがなかなか思うように染まってくれない。最初はおとなし目の栗色を選んでみた。箱に印刷された色の見本の通り、ほんのり栗色になってくれるものと信じて。ところが、染め上がったらものの見事に真っ黒！！　ガックリ。</p><p>次には、ちょっと挑戦してかなり明るい色を選んでみた。しかし、やはり栗色にはならない。又もや殆ど真っ黒！！</p><p>ええい、ままよと３度目の挑戦では、店にあった商品で１番明るい色にしてみた。（金髪になってしまったらどうしよう。明日、会社は急病で欠勤かな）と、恐る恐る染めてみたのだが、結果は全く恐れることはなく、よぉく見れば多少色がついたかなといった程度だった。翌日はしっかり出社し、友達に経緯を話すと「照明に当ると明るくなっているよ」と慰めてくれた。確かに、標準の１.５倍の値段を取られた美容院でも「染まりにくい髪ですね」と言われた記憶はあるが、なんだってこんなに自己主張が激しい髪になってしまったのだろうか。</p><p>いつも私の理想のような“亜麻色の髪”に自分で染めているリカコに尋ねると、前日の洗髪ではリンスやコンディショナーを使わないようにと言われた。ついつい、シャンプーとリンスは対になっていてカラーリングを思い立った前の晩も計算せずに使っていたかもしれない。時間も、記入されているのより多少というより、かなり長めにせよとのこと。そして自分の使っているメーカーと色を教えてくれた。</p><p>ここまで確認しておけば大丈夫。これで私も明日から“亜麻色の髪の乙女”よと、勇んでカラーリングに挑戦したのだが、あっけなく何度目かのＫＯをされてしまった。結果は、やはり照明が当れば明るく見える程度。どれだけ頑張っても、決して他人の色には染まらないというのは「貴方の色に染まります」という白無垢を着ていない、私の髪ゆえの意思の現れなのだろうか。涙。</p><p>髪を染めて撃沈した翌日にリカコ、絵美ちゃんと私の３人で食事をしたのだが、絵美ちゃんも「同じものを使って、どうしてそれだけの差が出るの？」とあきれ果てていた。</p><p>つい先日は、セビリヤの理髪店で「お客さんの髪は、全然細くも少なくもなりませんねぇ」と感心されてしまった。こちらでも変わらない強さだ。</p><p>そう言えばまだ10代の頃、同級生の男子と大手門から入って皇居を散歩したことがある。その時、同級生が私の髪にさりげなく手を触れた。背の低い私と長身の彼。私の頭の中では、みつはしちかこさんの漫画『ちっちとサリー』の図が浮かんでいた。10代の淡い恋？　すっごくイイ感じと思っていたのに、次の瞬間に言われた言葉は「針金みたいな毛だね」というものだった。ショック。いっぺんにムードが覚めてしまった。私もカチンときたけど、彼の方も乙女の柔らかな髪に触れたつもりが針金では、さぞかしガッカリしたことだろう。トラウマになってなければ良いけれど。</p><p>猫っ毛のクセ毛というウエダには「羨ましいわ。私なんて雨が降ると１番最初に分かるわよ」と、髪の多さや太さを羨ましがられるけど、無いものねだりだと言われるけれど、胸の無い分（？）せめて柔らかな亜麻色の髪になりたいという乙女心なんだけどなぁ。</p>]]></content>
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