目の前で殿方に泣かれたらどうします?
そりゃ、私は神様の秘蔵っ子ゆえ♪一人のものにならないでぇ〜 の教え通り、何人もの殿方に、思いを遂げさせてやることができず泣かせてきたけど、目の前で泣かれたことは流石に無かったなぁ。
なのに、トイメンのP氏ときたら目を晴らして涙は流すは、鼻水はたらすは声はうわずるはで、もう大変。ここは職場よ、そんな潤んだ瞳で私を見つめるのはやめてぇ。
「とうとう花粉症になっちゃいましたよぉ。去年までは大丈夫だったんだけどなぁ」って、なんやねん。紛らわしい目で見ないでよ。何しろ、私はまったく花粉症とは縁がなく、実感が涌かないんだから、アア驚いた。
言われて見回すと、花粉症さんのマァ多いこと。この部署では部長以下14人中、泣いてないのは部長と私くらいのもの。な、なんという疾病率?! みんな口々に「今は大丈夫でも、そのうち来るよ」と、呪いのように言う。引きずり込まれてなるものか、ここは憎まれようと怨まれようと、絶対に踏ん張るぞ。この春も無事乗り切ってみせる!
私が花粉症患者さんを初めて認識したのは、20代の初め(そうよ、今から5年ほど前よ。文句ある?)。同じ職場の尾崎さんという、当時40になるかならないかの方だった。やたら目をしばたたかせるのにまず驚いた。ウィンクにしては忙しすぎる両目の開け閉めだ。そして眼鏡の奥に指を入れて瞼をやたらゴシゴシとこする。会議というと、ティッシュの箱を抱えて会議室へ移動する。議長の声より「スミマセン」と言うが早いか、鼻をかむ音が会議室にこだまする。チーン等という可愛い音ではない。ぶっひーーーーーんとでも形容したら良いのだろうか、とにかくエゲツナァイ音が響き渡るのだ。時には、この鼻をかむ音に加えて「でぇぇぇぇぇっくしょんっっ!!」「ふえぇぇぇっくしょいっ!!」と何音階にも渡るクシャミのオン・パレードも続く。申し訳ないが笑っちゃうくらいに派手だ。普段物静かな尾崎さんが、この季節だけはやたらめったら賑やかに変身する。
その頃はまだ、花粉症という言葉すら知らなかったので、世の中には色々なことで苦労する人がいるもんだと感心していたものだ。そう言えば、もっとずっと昔、私が小学生くらいの頃に、近所の並木さんのおじさんが、毎朝すごい回数クシャミをしているのを聞いていた。回数も多ければクシャミの大きさも半端じゃなかった。それこそわざとではないだろうかとさえ思ったくらいだったが、今にして思うと、あの時既に並木さんのおじさんは、時代を相当早取りして花粉症に罹っていたのではないだろうか。果たして、ご自身はこの病を分かっておいでだったのだろうか。
今や私の知り合いの8割がたは罹患している。同じ日のほぼ同じ時刻に、半年ほど前まで弊社でアルバイトをしていた青年と、ケーブルTVの設置で我がマンションを訪れて以来メル友になっている“桜塚やっくん”似の青年から「花粉症がかなりきついです。花粉に悩まされている人は多いんですが、姫宮さんは大丈夫ですか? 今まで我慢していましたが、薬などに頼りたいと思います。効く薬をご存知でしたら教えて下さい」という、内容もほぼ同じメールが届いてビックリした。
二人には、やはり花粉症に泣いているウエダが昨年、試みていると言っていたテン茶の話を返信として送っておいた。すると、やはり同じ時期に「甜茶情報ありがとうございます。今日、駅の売店で甜茶のど飴を買ってみました。近々お茶を入手して試してみたいと思います。少しでも効果が出ると嬉しいです」という、またまた同じ内容の可愛い返信があった。
情報の出所、ウエダに様子を聞いてみると意外なことに「今年はテン茶が効かないのよぉ」との答え。「もう、顔もボロボロよぉ」と嘆いていた。洟のかみ過ぎで鼻のまわりが赤くなっているのかと思ったら、アレルギーのある人は花粉が紛れた風に触れただけで、皮膚がただれてしまうという現象も起こるらしい。花粉症の恐ろしさがだんだん分かってきましたよ。これは絶対、断固我が身に降りかかることは阻止せねばならない。私の、この美貌を犯されてなるものか。
注意してみていると、どうも、重症さんは都内に居る時間が長い人に多い気がする。伊豆に単身赴任していた山田氏は「伊豆に居ると収まっているのに、週末に都内に戻ると花粉症が悪化するんです」と仰っていたし、カリフォルニアはサクラメント在住の加藤さんは「2年前のこの時期に東京出張した際、見事花粉症にかかって散々な目にあいました。アメリカに戻ったらパッタリと治まって。 でも、これって東京へ戻ったら花粉に負けるってことですよね」と、いつ言い渡されるか分からない東京への配転を恐れているようだ。埼玉の実家に帰った時も土着の家族では、義妹が鼻をムズムズさせているだけだったし・・・。
しかし、その伝でいくと東京23区在住、それも山手線の内側に居住し、千代田区は大手町で働いている私は1年中の殆どの時間を東京都のど真ん中で過ごしているわけで、花粉症重症者になる要因は十二分にあるわけで不思議だ。これは、まだまだ観察が足りないということか、私には東京の水と空気が合っているといこうことか。
それにつけても、春の足音が近づいてくる頃から、ゴールデン・ウィークを過ぎる頃という、日本で最も気候が良いとされている時期に症状が出るなんて、まったくもって患者さんにはお気の毒。お花見しても観光に行っても心底楽しむことはできないのではないだろうか。
でもねぇ、洟もでなきゃ涙も出ないのに、どっこにも行く予定の無い元気ハツラツ美女も悲しいものよねぇ。そうねぇ、そういう時には一人で心の旅路を彷徨って、花粉症に罹ったつもりで一筋の涙を流すなんてのも佳人には乙かもねぇ。
弊社では毎年3月1日付けで、大きな人事異動がある。年も明けると早々から、ああでもないこうでもないと憶測が乱れ飛ぶ。鍋奉行ならぬ人事奉行がアチコチに登場し、さもありなんという構想を練り上げる。発令は3月1日付けだが内示は2月の中ごろである。今年は2月の16日だった。それより10日ほど前に、トイメンのP氏が部長から耳打ちされたという話を「他言無用」で教えてくれた。
やれ嬉し。この欄にも“ご登場いただいた”遅刻常習犯の上、ドタバタとはた迷惑な隣人の女性と、ク○(私の口からは言えません)生意気な若造が、どうやらここから出されるらしい。しかも後釜にはP氏が兄弟の契りの杯を交わした可愛い舎弟分、パシリのケンと、癒し系天然キャラの蒲田さんが来てくれるというのだ。こんな願ってもない人事はない。ガマンにガマンを重ねた甲斐があったと、苦労を共にしたP氏とビールで祝杯。ただし、まだまだこのことは当人達にもヒ・ミ・ツ。
乾杯から3日ほど後に、ケンちゃんからP氏に内線電話が入った。彼も異動の件を上司から耳打ちされたらしい。喜び勇んで、P氏への報告と相成ったわけだ。その晩のうちにP氏、ケンちゃんと私の3人で、目の前にやって来た明るい春を祝い、居酒屋・さくら水産にて大ジョッキで乾杯。三人三様に喜びが溢れ、その晩のお酒の美味しかったこと、ウニが、アンキモが、ピリ辛コンニャクが、鯖の味噌煮が、ジャコと水菜のしゃきしゃきサラダが、ほっけの塩焼きが、焼き鳥が、もずく酢が、握り寿司が、カマンベールチーズの揚げ物が、おしんこうの盛り合わせが、もずく酢が、美味しかったこと。(こりゃ食べ過ぎでしょ)
翌日、洗面所で蒲田さんと遭遇。見つめられても、口がむずむずしても言えない言えない人事の件は。彼女はどうやら希望している職場があるらしく自分の胸の内を、何も知らずに吐露してくれた。「私、○○部に行きたいんです」。「そうなんだぁ、希望がかなうといいね」って、(貴女の行き先は決まっているのよ)と思いながら答えている私はやっぱり美人女優?!
「○○部には行きたいんですけど、▲●という、感じの悪い人が居るんですよねぇ」って、ちょっとだけ不安げな蒲田さんに「あら、あそこの部長はウエダのご主人よ」と女優は演じ続ける。「そうなんですかぁ。なら安心。絶対に行きたいですぅ」って、すっかり、顔見知りのウエダのご主人の部下になり、楽しく働いている場面を想像しているようだ。ゴメンネ、貴女のごくごく近い将来は私の隣の席と既に決まっているのよ。
という訳で、3月1日から蒲田さんが私の隣に座っている。社で席を並べるのはこれで2度目だ。前回は蒲田さんが既に在籍していた部署に私が“新参者”として入った。お笑いの吉本興業の例を真似て、年下でも在籍が先輩の蒲田さんを私は“姐さん”と呼んで今に至る。
しかし、この職場は私の方が先輩になる。今更、呼び名を変えるのも不自然だし困ったと思っていたが、なんと蒲田さんはこの部署に入社早々配属されて2年間過ごしたことがあったのだそうな。なぁんだ、ここでもやっぱり大先輩だったのね。それを知ってからは「出戻りの新人さん」と呼んであげて、蒲田さんの口癖「ひどいわ、ひどいわ」を言わせてあげている。
“出戻りの新人さん”は、なにかあるごとに、気心の知れた姫宮にSOSを送ってくる。そして、その時々で「ひめみや先生〜」だったり「ひめみや様〜」だったり「ひっめみっやサァ〜ん」だったり「けいこさまぁ」だったりする。この区別はどこから来てるのか、蒲田さんご自身も多分、分かっていないものと思われる。
「はい、はい」と返事をしながらふと思う。私と蒲田さんは余程相性がイイのではなかろうかと。江原ナニガシ氏にみてもらったら前世での因縁を語られるのではないだろうかと。なぜって蒲田さん以外の人に、これだけまとわりつかれたら、私は「煩い散れ!!」と、絶対に言っていると思う。昨年の、文字通りの新人さんであるところのヨウコちゃんにはトイレまでまとわりつかれ、さんざん「散れ!!」の言葉を浴びせかけてしまった。今度の人事で彼女は部署が変わり、フロアが変わったので、もうまとわりつかれることもないだろう。今回の人事は、けっこう私に味方してくれているような気がする。
蒲田さんの人となりと、2月までの矢田さんと私の確執を知っているリカコや絵美ちゃんやウエダは「良かったねぇ、これからは癒されるねぇ」と言っている。リカコからは「蒲田さんと一緒にマッタリしていて、仕事を忘れないようにして下さいね」なんて、的を射たメールも入った。う〜ん、教えながら2倍働いて忙しいはずなのに“マッタリの気”の力が相当強いのか3月になってからは、ずっと悩まされていたストレス性の「声が出ない」「蕁麻疹が出る」という症状が綺麗に消えている。たとえ仕事量が2倍になっても、佃煮にするくらい私の名前を連呼されても、ここはマッタリゆるキャラの“出戻りの新人さん”に感謝しなくてはいけないだろう。
ところで、パシリのケンはどうしたかというと、やはり、願っても無いことは願ってもないのだった。2月16日に蓋を開けると、ケンはなんとお隣の部署に異動と決定。あの3人で挙げてしまった祝杯をどうしてくれるのだ。そしてク○生意気な若造は相変わらず、同じ部署で斜め向かいの、私からしっかり見える席に座っている。
「クッソー!!」オッと、思わず口にできない言葉をこのワタクシが口にしてしまった。
携帯電話を見る度に、ため息が出る。ああぁ、なんでこんなに汚くなってしまったのだろう。
もともと「操作の簡単なものを」と、お店のお兄さんに選んでもらったせいで、手渡された携帯はとってもごっつくて色もグレーと、色気も可愛げも無い。その上、無骨にアンテナまで飛び出している。薄型で、色もピンクや赤のいかにも女性仕様のものを使っている人達が羨ましいが、変えたら途端に使い方がわからなくなってしまう身としては、せめてもとディズニーのシールを貼って誤魔化してきた。
そんなある日、帰宅途中の車内でデコ携帯を持っている女性を見つけた。テレビや雑誌で知ってはいたけれど、実際にライトストーンでデコレーションされた携帯電話を見たのは始めてだった。「これだぁ!」と思った。携帯電話にキラキラとライトストーンをデコレーションすれば、私の無骨な携帯も可愛くなるだろう。確か、百円ショップで爪につけるライトストーンを買って、使わずにそのまましまってある。そうだ、あれを貼ってみよう。
家に帰り、早速ハート型をしたライトストーンもどきの粒々を取り出してデコレーションに挑戦。やり方は知らないけど、要するに貼ればいいのよね、貼れば。携帯の表面にアロンアルファを塗り、粒々をのせる。赤いハート、ピンクのハート、黄色、透明と次々に貼っていく。おっ、いいんじゃない?!
ところが、なかなかいい塩梅と思っていたのは最初のうちだけで、暫くすると、ハートがあっち向いたりコッチ向いたり、枠を乗り越えたりしだした。まずいと思った時には、もう遅い。強力瞬間接着剤と銘打ったアロンアルファは一瞬にして、物と物とをくっつけるのが信条であるからして、ちょっと向きを変えようにも、位置をずらそうにも梃子でも動かせない。“アロンアルファ用専用リムーバー・はがし隊”という救済隊の存在は知ってはいるが、持ってはいない。どう見ても、出っぱったり引っ込んだりした上に、向きがバラバラのデコレーションは美しくない。私の美意識からしたら、これは是が非でも剥がさねばならない。明日にでも“アロンアルファ用専用リムーバー・はがし隊”を、購入して剥がせば良いのだろうけど、今夜このまま放っておけないというのも私の性分。仕方ないので、ここは力技だ。カッターで削り取ることにする。
ああ、これが大誤算。かなりの時間をかけて、ハートの群れを削り取ることはできたけれど、その跡の惨たらしさ。無骨な上に傷までついてしまった。私の携帯電話の表面は、まるでプロレスラー、アブドーラ・ザ・ブッチャーの額のように凸凹になってしまった。今度はこの傷を隠さなくてはならない。応急処置としてカット絆の変わりに、ディズニーの残っていたシールを貼る。
しかし、使わずに引き出しの隅に残っていたものだけに、あまり可愛くはないし、傷の全てを隠しきれる大きさのものは無い。どんなシールがあれば、傷を隠して尚且つ可愛く綺麗な携帯に生まれ変わらせることが出来るのか。翌日、丸善の文具売り場でシールを探す。これならと購入したのは、1ツが2ミリ程の星型のシール。厚みも有り、光沢も有る。石やガラスの類では無いし、今度はシールなのだからアロンアルファーのご厄介にはならずに済む。これなら楽勝と、傷の上に次々と貼って行く。今度はなかなかどうして、綺麗きれい。
な・な・なぜだ? 突然、列が乱れだした。またたくはずの星のシールも、なんだかボロボロ。1枚位置をずらそうとすると、5枚くらい一編にゴソッとはがれて収拾がつかなくなる。結局アッチが剥がれ、こっちが重なって綺麗なはずの星々が、なんとも言えない“こ汚い”点の集まりと化していた。シールをみつけた時は、光り輝く私のデコ携帯がキラリと光って頭に浮かんだはずなのに。
そうでした。私は昔から母や豚弟から、さんざん“手がっけ”と言われていたのでした。
“手がっけ”とは、70年代の人気ドラマ『寺内貫太郎一家』の中で、樹木希林演ずるキンばぁちゃんが、加藤治子演ずる貫太郎の妻、里子に浴びせていた言葉だ。キンばぁちゃんは大変器用な人で、不器用な嫁の里子さんに対して手が“かっけ”だという意味合いで“手がっけ”と言い放つのだった。一緒に炊事をしていて、包丁の使い方もままならない嫁に向かい「まったく里子さんは手がっけだから」という風に。
『寺内貫太郎一家』は、我が家でも毎週欠かさず家族揃って見ていた。そして、このキンばぁちゃんの言葉が登場した途端、母と豚弟は我が意を得たりとばかりに、何かにつけ私に向かって使うのだった。「まったく、手がっけだから」「手がっけだから仕方ない」と。
確かに、私は子供の頃から絵に描いたような不器用者だった。家庭科の宿題をやっていると、見るに見かねてた母が“手伝う”ではなく、取り上げて最初から最後までやってしまう。それを提出するものだから、教師からは「どんなに下手でも自分でやりましょう」と度々お叱りを受けた。母は独身の頃、近所の洋装店から腕を見込まれ「是非とも養女に欲しい」と言われたくらいに器用な人だし、父もその手先の器用さから古の同級生から頼まれて“命”のはずのお雛様の顔を描くお手伝いをやったことまである。なのになのに、そのご長女さんであるところの私はなんでここまで不器用なのか。幼い頃の姪たちからまで、箸使いを注意され挙句に豆つかみ競争の挑戦まで挑まれて連敗し続けたこともあった。
それにつけても、この傷だらけの汚い携帯、一体どうしたら良いのだろう。ああショック。
携帯電話が喋れたら言うだろう「ショックなのは、コッチの方よ。“手がっけ”のくせに、余計なことしないでよ、このデコ助が!!」ってね。