大手町、丸の内、有楽町地区を結ぶ“丸の内シャトル”という無料巡回バスが平成15年から走っている。車長の短い独特なフォルムで、その形を見ると『となりのトトロ』の猫バスをついつい思い浮かべてしまう。
埼玉の片田舎から母が上京して来た時に、そのバスで大手町のサンケイビル前から日比谷のパレスホテルまで行き、お茶とケーキで一息ついて、今度は丸ビルまで行って眺望を楽しんだことがある。途中の高いビル群に目をまるくし、パレスホテルでは塩爺こと元財務大臣塩川正十郎翁と遭遇した上、手を振ってもらえたものだから、そりゃぁもぉトラうさぎは大喜びだった。
ステップも低く、ご老人の域にあり尚且つミーハーの母を連れ歩く(歩かないために乗るのですが)には、乗り降り自由で目に付くスポットに止まるシャトル・バスは有り難い足である。その上、無料ですもの。もっとも義理堅い母娘故、行く先々でお茶を飲んだり、食事をしたりとけっこう運賃は払っている勘定になるかも知れない。
その“丸の内シャトル”が、退社時の私の目の前に静かに止まった。何のことは無い、私が停留所の前を歩いていただけの話だが。いつもはそれなりに乗降客があるが、その時はなんと運転手だけ。一瞬そそられた。一人で夜のオフィス街の灯を、車内から優雅に見るのも趣がある。躊躇しつつも、足はいつもの帰り道を東京駅に向かっていた。これが帰巣本能か、パブロフの犬的条件反射か。
でも、気になるナァ誰も乗っていないバス。そうそうこんな機会に巡り合えるものではない。後ろ髪引かれるとはこういうことか。ちょっと行って振り返ると、停留所にはまだバスの姿がある。さっさと出発してくれれば諦めがつくものを、こんな時に限ってなかなかバスが動き出さない。次の信号まで行って振り返ってもまだ止まっている。ああ、思い切って乗っちゃえば良かったなぁ。今年も、一歩踏み出す勇気を持てないままの1年になるのかと、この先が思いやられる。
あのままバスに乗っていたら玉木宏のようなイケメン運転手さんに、バスだけどテノールのよく響く声で「お嬢さん、今日は貴女だけの為にこのバスを運転しましょう。停留所でも停まらずあなたのお好きな所までお連れしますよ」なんて言われちゃったりして。大手町を出てイルミネー ション輝く日比谷を通り、有楽町へと二人っきりでウフフ。暫く行くと停留所に男性の影。躊躇する玉木運転手に私は鷹揚に言う「待っている人は乗せなくてはいけないワ」。乗って来た男性もこれまた竹之内豊ばりのいい男で「お嬢さん、お隣の席いいですか?」って、ガラガラの車内を見渡しながら、わざわざ私の隣に座る。面白くないのは玉木運転手。二人のイケメンは私をめぐって火花を散らす。もぉ困るなぁ。昔、河合奈保子が歌ってたっけ ♪喧嘩はやめて 私のために争わないでぇ〜♪って。
乗ってたら、乗ってればというレバ・ニラ、違った。たら・ればを言ってみたって詮無い事だが、私の妄想はとめどなく広がるばかり。
乗客一人というのはさすがに経験していないが、大分前にガラガラの観光バスに乗ったことがある。デパート勤務の友達と山中湖に行った時のことだ。梅雨時の平日だったもので富士急ハイランドの乗り物も、並ばずにすいすい乗れた。ジェット・コースターでは、生まれて初めて先頭に乗ることができた。すぐ後ろに居た大学生とおぼしき青年たちが「1番前は怖いですよ、代わってあげますよ」なんて猫なで声で言って来たが、誰が代わるかと丁寧に断固お断りし、先頭で天辺まで上がり、先頭で地の底に真っ逆さまに落ちて行く体験をした。
私は根っからの晴れ女で、この山中湖行きの日も梅雨の谷間に関わらず、雲ひとつ無い晴天、まったくもっての行楽日和だった。気を良くして観光バスに友達と二人乗り込んだ。なんと、バスの中には運転手さん、ガイドさん、一人旅の年輩の女性、そして私達と同じくOLの二人連れの計5人、我々を含めてもたったの7人だ。50人は優に乗れる観光バス、どこでも好きな座席に座れば良いようなものの、なぜか乗客5人は運転席の直ぐ後ろに塊りとなって座っていた。大きなバスにバラバラに座るのは寂しかったのかも知れない。年輩の女性は、ひと月前に台湾から観光に来たという。日本語も上手。「ズット原宿ノ知リ合イノトコニイルヨ」「今朝、早ク明治神宮ニ行ッテ来タヨ。気持チ良カッタヨ」「チマキ作ッテ来タヨ。食ベルカ」というので4人のOLは、桃太郎のきび団子に群がるように「お供します」と、喜んでご相伴にあずかった。さすがに本場モンは美味しかった。もちろん原宿界隈で調達したのだろうけど、ばら肉や椎茸、筍、人参がけっこうな大きさでゴロゴロ入っていた。
バスが目指したのは富士山の五合目、富岳風穴、白糸の滝、河口湖。ガイドさんが5人のためにマイクを片手に定位置に立ってガイドをしようとするのだが、5人とも「いいから座ってなよ」とか「マイクなんて要らないよ」とか口々に言って、仲間を増やそうとしている。ガイドさんは嬉しかったのだろうか、それとも困っていたのだろうか。
バスは観光地を目指すのだが5人では商売にならないらしく、何処に行っても「人数の関係で、こちらでは集合写真を割愛させていただきます」と“○月△日ドコソコにて”という写真を撮ってくれない。仕方がないのでセルフタイマーで、5人での集合写真を撮ろうとすると「ワタシガ写スヨ」と、台湾小母さん(4人はこう呼んでいた)が有無を言わせぬ雰囲気で、立派なカメラを構える。「ハイ写スヨ。笑ッテ」。運転手さんとガイドさんも交えた6人がニッコリ微笑んで、そのカメラに腕前を想像した途端、シャッターが押された“カシャッ”。ところが、どう見てもシャッターを力強く押したカメラは、その勢いで空を向いている。何度やっても、何処で撮っても同じだ。デジカメではないので、その場で確かめることはできない。「デキタラ送ルヨ」の言葉をシラーッと聞きながらも、心優しい日本のOL4人は、台湾小母さんの手前、新たに写真を撮りあうこともできず、結局その日の観光写真は1枚も手元に無いのだった。台湾小母さんから写真が届かなかったのは言うまでもない。
果たして、台湾小母さんのアルバムには明治神宮や富士山で撮った“ニッポンの空”が思い出として貼られているのだろうか。
“爆弾低気圧”なんて言葉を聞くと、ズラッと並んだ大砲から雪の玉がガンガン打ち込まれてくるような場面を想像して、寒さにゾクゾクしてくる。
埼玉にある実家は日本家屋の一戸建てで、半端じゃなく寒い。そのせいで寒がりの私は冬場はめったに帰らないが、帰ると必ず一晩に三度は入浴する。一度目、髪を洗って乾かし終わるまでに体が冷えてしまい、温まり直しにもう一度。やっと温まって寝ようとするものの、可愛い娘の帰ってくるのを待っていた母に捕まり、豚弟の愚痴などを聞かされているとアッという間に又冷えるので三度目。ここで、誰に何を言われようと体が冷えないうちに布団にもぐりこまないと四度、五度と、温泉でもない家庭のお風呂に入らなければならない羽目になる。
布団の中は、たまに帰る娘のためにと、母が干したり電気毛布を入れてくれたりで、ヌックヌクに暖まっている。毛布や、掛け布団もありったけの枚数がかけられ、隙間風で肩が冷えるといけないからと、首をくりぬいたような形のムートンの肩掛けまで用意されている。気持ちはありがたいが、母の愛情の重さに圧死しそうだ。
そんな実家とは違って、都内の超高級マンションは朝目が覚めると、結露が滝のように流れるくらいの密閉率。特に南に面したリビングは、まるでサン・ルームだ。朝日で、テーブルに置いた手が焦げそうなくらいに熱くなる(オホホ)。西向きではあるが寝室も、実家のそれとは大違い。今まで電気毛布も使ったことは無い。
しかし、今年の冬はちょっと手ごわそうだ。大阪在住の薫から「湯たんぽを入れてみたら、とっても具合が良くて手放せなくなりました」のメールが届いた。それからというもの気になっていたせいで、帰り道にドラッグ・ストアで電子レンジで暖めて使う“ゆたぽん”なるものを見つけた時には、ついつい手が伸びていた。レンジで3分チン(W数によって変わる)すると、暖かさが7時間持続すると箱に書いてある。これはお手軽。寝る前に早速チン。なのに、実際に使ってみると“ゆたぽん”は6時間で冷たくなり、その途端に私は目が覚めてしまった。時間は6時。まだ私の起床時間には1時間以上もある。
お湯を入れるタイプのは、どの程度暖かさが持続するものか薫にメールで問い合わせると「私の湯たんぽはちょっとセレブで、ドイツ製の銅の湯たんぽです。日本の物に比べて、かなりコンパクト、弁当箱ぐらいです。これは結構使い勝手がよく、小さくても朝までもちます。たしか8千円ぐらいしたかな、私は予約していたので この価格で売ってもらえたけど、今はユーロ高で1万円 以上すると思うよ。でもいいものってやはりいいですよ」と、鼻高々の返事が返って来た。湯たんぽで1万円? そんな値段の湯たんぽに“超高級貧乏性”の私はおいそれと足を乗せることなどできゃしないなぁ。
私が子供の頃はブリキ製で表面が波々になっている湯たんぽだった。蓋はねじ式で、お湯がこぼれては大変と、ねじの頭に渡してある太い針金に菜箸を通し、ギュッギュッと硬く閉めたものだ。でも、そうすると翌朝は開けるのが大変。またもや菜箸を入れて思い切り、こじあけていた。何本菜箸を折って母に怒られたことか。こげ茶色の陶器製の湯たんぽもあった。蓋は木だかコルクだったような気がする。
湯たんぽの次には豆炭アンカだ。厚みのあるお弁当箱を2ツ合わせたような大きさで、オレンジ色だったのを思い出す。まずは、七輪で練炭に火をおこす。その上に豆炭を乗せて火がつくのを待つ。その豆炭を、痩せた鋏の親分みたいな火ばさみで、2つ合わさったお弁当箱のようなアンカの真ん中に置き、口金で留める。これで一晩どころか、ほぼ1日ぬくぬくなのだ。確か品川アンカと言ったと思う。品川が地名から来てるのか、社名かは知らない。その後は電気のアンカだった。10cmも高さのあった豆炭アンカからしたら、大分薄くなって楽に足が乗せられるようになった。
薫に聞いたドイツ製の湯たんぽ、その銅製の1万もするという湯たんぽをインターネットで探してみたら凄い、すごい。湯たんぽは今、静かなブームになっているらしく、応援(?)メッセージがいっぱいだ。曰く、ヒーターの類と異なり皮膚が乾燥しない。乾燥しないので喉が渇かない。ほかほかと自然な暖かさでいて、だんだんに温度が下がるから体に優しい。電気の消し忘れが無いから「消したかな?」と、通勤途中に青くなることはない。電気代もかからずエコロジーetc。紹介されている湯たんぽも、昔ながらのブリキのものから、陶器、水枕風のゴムの物、薫が言っていた銅製の舶来品や話題のラドン岩盤浴湯たんぽなんてのも登場している。そして、そのカバーたるや、ツチノコ型や北欧デザイン風、パッチワーク、そして当然のようにキティちゃんからミッキー、プーさん、トゥイティーと、キャラクター商品も例を挙げたらキリが無いほど掲載されている。足の下に置くだけでなく、これらのカバーに包まれたものは抱いて寝る人もけっこういるらしい。
湯たんぽという言葉自体が、文字も響きもほんわかと暖かそうだ。インターネットで見ているだけで、足の下に置くもの、腰の辺りに充てるもの、抱いて寝たいキャラクターと、幾つも欲しくなってきた。
いやいや、既に私は“ゆたぽん”なる湯たんぽ仕様の物を持っているのだった。これはこれで、持続時間にチト難点はあるものの、中身がジェル状だもので足を乗せても、足に乗せてもいかようにでも形を変えて対応してくれる。カバーは味も素っ気もない長方形のオレンジ色の袋だが、毎晩チンして抱えるとこれはこれで愛着が涌いてくる。やはり“暖”は心も暖かくしてくれるようだ。
そう言えば、何で読んだか忘れたけれど「何で結婚したの?」「だって寒かったんだもん」っていう会話に感激したことがあったっけ。あのぉ、私も寒いんですけど“ゆたぽん”に代わってくれる人、居ませんか?

これが“気”だけでおさまれば良いのだが、行動まで伴ってしまうから困ったものだ。
私が働いている部署は、小学校の黒板の右隅に書き出すような“日直”がある。昼休み、皆がランチに行っている間の職場を守ることと、夕方「今日の仕事はこれで終わりにしましょう」と、日誌ならぬ伝票やデータを関連部署に送り込む締めの仕事をする。夕方になって、なんでもテキパキとこなすワタクシは、とっとと伝票を確認しFAX送信した。するとトイメンのP氏が「スミマセン」と言う。さて次、データをどんどん送る。すると又もやトイメンのP氏が「ありがとうございます」と言う。まぁ、普段から丁寧な人だから、職場全体の仕事として、合いの手を入れてくれているのだろうと思っていた。ところが、最後の最後に明日の当番さんに、伝票を渡そうとして分かった。今日の“日直”はP氏だったのだ。すると、私の当番は明日ではないか。私は私に伝票を「よろしく」と渡さなければならない。どうりでP氏が、何度もお礼を言うはずだ。
(あらら)とは思ったものの、そこは「私は女優よ」。さも忙しいP氏を手伝ってやったのさという姿勢を崩さずに「では、お先に失礼します」と席を立ち、思い出し笑いを必死にこらえながら帰途についた。
さて翌日は正式に私の当番。これは大手を振って“日直”の仕事を遂行する。昼は良い子でお留守番。夕方の準備もおこたりなく、ン今日は金曜日。金曜日だけは普段より30分早く締めの仕事をしなくてはいけないのだった。ドッヒャーっと、大慌てで取り組もうとした瞬間、同じ部署の人から「今日は木曜日ですよ」の一言。加えて「明日は土曜日ではありませんから、休まないで下さいね」と、念押しをされてしまった。
社では、その程度で納まっているが、自室に戻ると色々とやっている。
目覚ましをOFFのまま枕元に置いておいたのが木曜日で、金曜は枕元に置くことすら忘れていた。どちらも携帯のアラームが知らせてくれたから助かったものの、目覚まし一つに頼っていたら何時まで寝ていたことか。
浴槽を掃除して蓋はしたものの、栓をせずに給湯のスイッチを押したこともある。いつになっても「お風呂が沸きました」のアナウンスが無いなぁと思って蓋をあけたら、たまることの無いお湯がチョロチョロと流れていた。ああ、まったくもって湯水のごとく垂れ流してしまったわけだ。一晩で風呂桶何杯分の水と、ガス代の無駄をしたことになるのだろう。水をはって炊く形式の湯船でないから空焚きをせずに済んだし、これからもその心配だけは無いのが救いである。
会社でお隣さんが開けっ放し、引き出しっぱなしにしているドアや引き出しまで、キッチリと閉めて歩いていた私のはずなのに、なぜかここの所、ドアは開けっぱなし引き出しは引き出しっぱなしになってしまった。用事をして、ふと見回すとアッチのドアは開けたまま、引き出しなんてご丁寧に2段も並んで引かれたままになっている。気付いて締めに行く途中でテーブルの上の出しっぱなしの物に目が行くと、そこで違う作業を始めてしまい、何をしにいこうとしていたかを忘れてしまう。挙句、開けっ放し、引き出しっぱなしはいつになっても収拾がつかない。
その話を、バースデー・ランチでお祝いしてくれた一回りも年下の孝子さんに「1歳の差は人間にかなりの負をかける」と話すと「私が1ヶ月泊り込んでビシバシ、躾てあげます」という心強い言葉が返って来た。「やはり人間は痛い思いをしないと、なかなか直りません」と。かなり本気でしごいてくれるつもりらしい。「そのままだったら、空き巣に入られても分かりませんから」って。
次は、記憶力だ。名前が出てこないなんて日常茶飯事。政治家や歴史上の人物なら「私の生活とは関わりないし、佐賀のがばいばぁちゃんの教え通り、過去にはこだわりません」で済むけれど、大好きなテレビ・ドラマの登場人物が出てこないとなると、たった1ツの得意分野も瓦解かと頭をかかえるしかない。単語も「絶対に」と威張りたくなるくらい出てこない。会話の途中で「ホラ、ほら…」ってホラ吹きになってしまう。
3日ほど前には、絵美ちゃんの好きな女優さんがポッチャリしてきたという話を、絵美ちゃんとしていて、元の魅力を表現したいのに、思っている言葉が出てこない。「ああ、言葉が出てこないよぉホラ、ほら、スリムでもない、スッキリでもない、ツンでもない…鋭角な感じを英語で述べよ」と言ったら「シャープ?」って。それよそれ、お陰で刺さった小骨が取れました。絵美ちゃんなら長年の付き合いで分かってくれるが、なかなか出てこなかったらお互いにイライラするだろうなぁ。この調子で話していたら普通の会話の何倍のエネルギーと時間を使うことやら。新案・ボケダイエットはいかがかな?!
しかし、私の新春初ボケはこの程度で納まってくれるのだろうか? 昨夜なんて、お風呂に入ろうと、居間から浴室にパジャマ、新聞(半身浴の必需品)、携帯電話、それと入浴後寝室で見るためのビデオテープを持って立ち上がったのは良いのだが、気付くとキッチンの冷蔵庫を開けて、テープをしまおうとしていた。最初から、これだけの品数を手にしてはいけなかったのね。でもなんで冷蔵庫? 我ながら驚いてしまう。
どこまで続くボケ道よ。人の仕事なら取ってもお礼を言われるが、お隣や目の前の人のお皿から食べ物を奪ってしまったらどうしよう。人様の物を持って「私は女優よ」って威張っちゃったらどうしよう。冷蔵庫に服や靴まで仕舞い込んでしまったらどうしよう。新春の夢ではなく心配のタネは膨らむばっかりだ。
ここで我が母トラうさぎの格言「人間、年を取ったらボケちゃった方が勝ち」。ホントかなぁ。
祝・順天堂大学箱根駅伝第83回大会優勝。
毎年「なんの因果で三が日まで出社せねばならんのか」と怨み節をうなりながらの1月3日の初出勤。しかし、ご近所さんに読売新聞社があるおかげで、お年玉のように箱根駅伝復路の最後の最後を“生”で見ることができる。今年は3日の出社を免れることができたので聖戦を生で見ることはできなかったが、逆に7時間もテレビにかじりついての観戦と相成った。
ところどころで出てくる読売新聞のCM「こんなに頑張ってどうするのよ」という今時の女の子が「だんだんドキドキしてきた」と駅伝の画面に魅せられていくように、私も掃除やら雑用をしながらの観戦のつもりが、いつの間にかハラハラ・ドキドキで画面に釘付け、掃除どころではない。亜細亜大学は、昨年沿道でその勇姿を見ていたもので、シード権も危うしという状況に、せめて10位にしてやりたいと思う。昨年10秒に泣いてシード入り出来なかった城西大学も、今年こそ10位以内にと思う。そんな見方をしていたら、10位までに20校全部を入れてやりたくなってしまって困る。
途中、9区から10区への鶴見中継所で、19位の神奈川大学と20位の関東学連選抜チームは、トップの順天堂大学から20分以上の差がついてしまったため、繰り上げスタートとなった。特に神奈川大学は、10区の選手が見える所まで来ていながら、20秒の差でタスキを渡すことが出来ず、涙を飲んだ。中継アナウンサーの「渡す相手はいません」の声が無情に響く。本当に悲壮なドラマだな、胸を打つわぁ。「105人の陸上部員の心が繫いで来たタスキが、冷たくなって手に残ります」なんてさ。それ以上、泣かせんじゃない。それにしても、なんで全校渡しきるまで待ってやれないのか。大会の責任者、あるいはこんなルールを作った輩は出て来いと言いたい。お正月だよ、新年早々にあくせくするのは辞めようよ。必死で運んだタスキの1本や2本、渡し終わるまで待ってやろうよ。
復路常に1位をキープした順天堂大学が笑顔でテープを切り、出場全チームが無事、大手町は読売新聞社前に帰って来ると、私の正月休みももう終わり。日曜夕方の『サザエさん』症候群のような、切ない思いがよぎる。でも、しかし、今年は始まったばかりなんだった。
年頭に当たり、私も駅伝のタスキに縫い付けられたお守りのようにここで、何か祈念しようとは思うものの、エトォ、エトォ……。何も浮かばないのは哀しい限り。この際だ、箱根駅伝の選手達にもらったハラハラ・ドキドキ、あるいはワクワク・ウキウキの心を1年間常に持ち続けるというのはどうだろう。そうそう「どんな映画を見ても泣かない」とか「どんなミュージシャンや俳優を見ても心ときめかさない」と、植田や絵美ちゃん、リカコにさんざん言われ続けた幾年月、私だって鬼でもなければ蛇でもない。暖かい血が通っているってトコを今年は見せてやろうじゃないの。
そうすれば、良いこともあるということも実は知っているのだ。昨年の植田とリカコとの忘年会の席で出た化粧談義。すべすべもち肌、あるいは湯上り卵肌、どこから見てもシミも霞みも吹き出物も一切見当たらないリカコのお肌。それは当然、お高い化粧品と日ごろの努力によって培われているものと、私も植田も信じて疑わなかった。ところがどっこい、さすがに浴用石鹸で洗顔する私にはかなわないが、化粧品もシンプルな物を「3ヶ月や半年くらい平気でもっちゃいます」という程度で、これといったお手入れはしていないんだとか。お風呂上りには即、自作のオイリーな化粧水と乳液で肌を整えるという植田もビックリ。では、そのキメ細やかな色白すべすべシットリお肌はどこから来るの?
リカコの返事を聞いて納得。「気持ちですよ」。テレビ・ドラマの素敵なヒーローにハートのお目目で見とれ、アイドルの舞台に行っての帰りは背中に羽が生え、地に足がつかない。そんな夢心地のルンルン気分でいれば、おのずとお肌もピチピチピンクになろうというものだ。そう言えば、随分前に退社してしまった原田さんも、色白もち肌だったけど「昨日は呑んで帰って化粧落しせずに寝ちゃいましたぁ」なんて恐ろしいことを、しょっちゅうシレーっと言っていた。それなのに、いっつも周りから羨ましがられるほどのすべすべお肌だった。そして、彼女も恋に恋する乙女だったっけ。
このことを踏まえて宣誓、今年は“恋”をしてハラハラ・どきどき致します。もちろん、テレビの中のアイドルや俳優、スポーツマンもありということで。あるいは、素敵な絵画、美味しい食べ物も含むということで。
あっちこっちに頭をめぐらしてみたら、恋する相手みっけ。なぁんだ、こんな所に居たじゃない。何を隠そう姫宮さんよ。ドジでお間抜けで、おバカさん。でも、そこが可愛いんだなぁ。そうよ、私は私が大好きなのさ。今年は、大いに自分に恋をして夢見る瞳で生きていこう。どのくらい恋したら、お肌すべすべになれるのかな…。
こんな姫宮の『大安吉日ノーテンキ』に、今年もお付き合い下さいますようお願い致します。
そして今日は1月7日、しかも大安。なんとワタクシの25回目の聖誕祭ではありませんか。えっ、バースデー・プレゼント?! どうぞお気遣いなさいますな。もっとも落語家の林家こん平さんではないけれど、まだ御殿の納戸には収納の余地がたっぷりございます。チャラーン。