大安吉日ノーテンキ

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2006-10-29 日

先見の明

やったぁ、プロ野球日本シリーズで私が応援団長を務める、と思っている北海道日本ハムファイターズが、俺流落合監督指揮する中日に圧勝、44年ぶりの日本一に輝いた。

初めて北の大地、札幌での日本シリーズ。そこでの胴上げは涙、涙の新庄からヒルマン監督、天国の大社前オーナーまでも宙に舞った。選手と観客が一体になり、そりゃぁもぉ大盛り上がりさぁ。ファン代表、と思っている私も胴上げされている気分で嬉しかった。

思い起こせば…何年前だったかなぁ。私が、まだ頭に北海道がつかない日本ハム・ファイターズのファンになった頃は、プロ野球ファンに日ハムファンが占める割合は1%弱。そんな数字がはじき出せるのかぁという信じられない数値だった。だから、日ハムファンだと言うと「随分、渋いトコ応援してるねぇ」などと言われ、選手の名前を出すにも予め「ご存知無いとは思いますが」と、いちいち断りを入れなければならなかった。ところがどっこい、北の大地に移ってからは長足の進歩というか浸透というか。爆発的な人気になっている。北海道では巨人の人気が圧倒的だったのではなかったかい?

その巨人と同じ東京ドームを本拠地にしていた時なんて、観客はガラガラ。トイレから戻って来たお父さんが、席に戻ろうとして足元に転がって来たファール・ボールを「ヨッコラショ」と拾い上げるシーンを目の当たりにしたこともある。満員の観客だったら、ホームラン・ボールはもちろん、ファール・ボールだって皆、目の色を変えて奪い合うものだ。この日本シリーズで常に4万人を軽く超える観客動員には、ただただ驚かされる。空撮のようにグルリと埋まった観客席を画面が写しだす様を見て、本当に日ハムの試合かいなと不思議な気分にさえなる。

東京ドームでは、日ハムの試合当日、試合の無い巨人選手のグッズの方が大きく扱われていたりして、義憤を覚えたものだった。札幌ドームは日ハムのためだけの、正に本拠地。選手達だって、そりゃぁやる気が出るでしょう。泣く泣く東京ドームから見送った母(いつから?)ではありますが、日本シリーズ最終日の瞬間視聴率が札幌地区で73%を超えたという話を聞くにつけても、よくぞここまで育ててくれましたと北の大地のファンの方々に向かって手を合わせたい気持ちだ。

でも、だが、しかし、絶対に、この度の日本一も、私の応援のお陰なのだ。だってリカコが言っていましたもの。「姫宮さんが目を留める人は、必ず活躍するようになりますね」って。これは、歌手や俳優のことを指して言ってくれた言葉だが、私にとってはファイターズも同じこと。最初に目が行ったのは奈良原選手だった。そしたらなんと、選手会長よ。高橋信二のユニホームを抽選で引き当てたら、直後からホームランをガンガン打ったし、クリスマスの集いでサンタさんの赤い服を着た森本と握手をしたら、翌春からあの活躍よぉ。日本一のウィニング・ボールも捕っちゃうしね。やっぱり、応援団長、と思っている私は凄い。新庄ほどではないけれど、私もきっと“持ってるわ”。

日本シリーズの対戦相手、セ・リーグ優勝の中日には、去年まで日ハムに居た奈良原が、この春移籍している。バッターボックスに立つと、アンパイヤより小さな体なのに、その出塁への執念、守りの技は玄人受けすると言われている。日ハム広報の人とお話しする機会を得た時、最初に「誰のファンですか?」と尋ねられ「奈良原選手です」と答えたら、えらく喜ばれた。広報の人たちに、ちゃんと技を見ていると認められた私も嬉しかった。せっかく中日も勝ち上がったのだから、古巣、日ハムとの対戦では姿を見せてくれるものと期待していた。私としては、奈良原がほどほどに活躍した上で、日ハムが優勝したら2度オイシイ日本シリーズになったのだが。

ところで、私の試合観戦法だが、ちょっと偏っている。日ハムが攻撃の時は斎戒沐浴し、一心不乱に応援する。電話がかかろうが、トイレに行きたくなろうが無視、無視、じっとガマン。そして、相手チームの攻撃の時は食べたり飲んだり、よそ見をしたり、パソコンでゲームをしたり、トイレに行ったり。兎に角、なるべく相手の攻撃は見たくないのだ。日ハムのピッチャーが追い詰められでもしようものなら、もう胸苦しさに眩暈がしそう。殊に押さえのマイケル中村の投球フォームは「あの姿勢で何を考えているのだろう」と思うほど、顔を俯かせた不思議なフォームだ。とても心穏やかなまま見ていることができない。そんなわけで、相手チームの攻撃は、9回の最後のバッターしか見ていない。球場に行ってもしかりで、お弁当を食べたり飲めないビールを無理に飲んだりしている。

今回の日本シリーズに向けては日ハム攻撃の際の応援用に、通販で何段階にも背もたれが傾斜する大き目の座椅子を購入した。相手チームの攻撃の時は立ち上がってお風呂の用意をしたり、トイレに行ったりウロウロ。しかし、攻撃に入ると座椅子にシッカと座り、打席順に心の中で叫ぶ。「ヒチョリィ、塁に出てぇ」「ケンスケ、送ってぇ」「小笠原、ここでホームラウン」「セギ様ぁ、打ってぇ」。稲葉が登場の際は、私も札幌ドームの観客のように飛び跳ねたいが、マンションの下の階から苦情が来るであろうから、グッとがまん。「画面が揺れていますが、観客のジャンプでカメラが揺れているのです。お宅のテレビの故障ではありません」というアナウンサーのお断りが何度も繰り返される。その都度“私の”日ハム人気を誇らしく思いながらも、札幌ドームの耐震の度合いがチト気にかかった。

札幌には、日本シリーズの間「今朝の北海道のスポーツ紙です」と、日ハムが活躍した紙面を送り続けてくれた有難い仲間もできた。何しろ私が目にする東京中日スポーツでは『憲伸頼む』と、負けた中日が当然のように1面を飾っているし、リーグ優勝した翌日のデイリーも1面は、これまた当然、阪神球団の記事だったのだから。

それにつけても、今回の日本シリーズで1番驚かされたのは母からの電話だった。日ハムが優勝した直後に「おめでとう!!」と言って来たのだ。まさか、母が日本リーグに関心をもっているなんて夢にも思っていなかった。母「お前に初めて聞かされた頃には日ハムなんて知らなかったけど、大したもんだね」私「どうよ、どうよ凄いでしょ」母「こういうコトでは先見の明があるんだねぇ」私「ほほほ、私には見る目があるのよ」母「だったら、それを男性を見る目に活かせばいいのにねぇ。ウダウダ、アダコダ…」はぁ、やっぱり行き着く先はソッチですか。せっかくの浮かれ気分に、日ハムの選手のビールかけより早く、冷や水を浴びせかけてくれた我が母、トラうさぎなのでありました。

2006-10-22 日

レイターさん

蒲田さんは言葉の達人だ。お話を“拝聴”していると、我々凡人が予測だにしない言葉を、次々と生み出しては驚かせてくれる。

先日、洗濯の話をしていた時には「アイロンをかけなくてもシャキッとしているシャツは助かるね」と私が言うと「そうそう、形状記憶喪失」ってすましておっしゃる。おいおい記憶を無くしちゃグチャグチャになっちゃうよ。

私がつい最近知ったばかりの某運動に関連する本を、いちはやく購入しているという話を聞き「いつの間に見つけたの?」と聞くと「先週、昼休みに本屋さんをボインボインしていたら目に入ったの」だって。「それを言うなら、ブラブラだろうが!?」って、桜塚ヤックンの口調になっちゃうよ。それにつけても、なぜにボインボインになるのか、それって蒲田さんの願望ですか?

昨年11月から私は足の痛みが引かず、新たな診療所を尋ねたものかどうか迷っていると話した時には「1箇所だけではなく、他のトコも試してみた方がいいですよ。セカンド・オニオンって言うでしょう」。言わない言わない。それを言うなら「セカンド・オピニオン」。せっかく良いアドバイスをしてくれてもオニオンではねぇ。マ、考えようによっては、重い気持ちを笑いに変えてくれる有り難い存在ではある。

だからなのかな先週、医食同源を謳ったレストランに併設された健康相談のコーナーで、ストレス度チェックを並んで受けた時、どう考えてもストレス度が高いはずの私の方が、蒲田さんより遥かに低かったのは。蒲田さんとは一緒に居るだけで、私の心は癒されていくのだろう。

そうそう、今年の夏はお姉さんとパリに行くという話だった。人間ドッグに行ったら「胃を全摘」なんて驚かされたらしいのだが、結果は軽い胃炎で済んだ。なので「生きている喜びを、パリでしみじみと噛み締めて来ます」なんて、ご大層なことを言っていたのだ。ところが、夏休みが明けて出社して来た蒲田さんに「パリはどうだった?」と聞くと「それがね…」パリではなくバリに行って来たと言う。

私の聞き違い? 蒲田さんの言い間違い? いえいえ、確かに蒲田さんもパリに行く気満々だったのだ。ところが、ちょっとした予約の手違いで、申し込んだツモリだったパリのツアーからあぶれてしまったらしい。そこで、「パリもバリも変わらないと思って」って、全然違うと思うのだが。それでも、急遽行き先変更になったバリでは、青い海を眺めながらお茶を飲んだり、マッサージを受けたりと、リゾート地でのまったりとした時間を満喫したらしい。ご本人がいたってご機嫌なのだから、結果オーライということだろう。

どうも、予約は蒲田さんの苦手な事柄らしい。つい先日「明日、目黒の整体に予約してあるんだけど、一緒に行かない?」と誘われた。生憎私は先約があってお断りしたのだが、「明日になったら忘れてしまいそうだわぁ」なんて言っていたので、その明日の退社時間直前に「今日は目黒ですよ。お忘れなく」と、親切な私は社内メールでお知らせしてさしあげた。すると折り返し、メールが来た。「先日、予約したつもりでいたのですが、空いている時間だけ聞いて、予約を入れるのを忘れていました。今、電話して予約が入っていないことを確認しました」だって。先約があって良かったぁ。

私は、7年ほど前に蒲田さんと2人で、30人からなるオヤジばかりの集団の部署に1年間居たことがある。そこでは受付業務から電話の取次ぎ、そしてあらゆる雑用に至るまで、オヤジ達のメンドウを2人でみなくてはならない。電話はひっきりなしにかかってくる上に、外国の方からのものもけっこうあった。その都度、私たちは例文の載ったトラの巻きを見ながら、シドロモドロの受け答えをするのだった。

ある日、離席していた部長が戻ってくると、蒲田さんは勇んでご報告。「部長、さきほどレイターさんから、お電話がありました」。「レイターさん? 知らないなぁ、そういう名前の人」。蒲田さんと部長の会話を聞いて、決して英語が堪能なわけではないのだが、ピンとくるものがあった。「それはレイターさんではなく、“後で”のlaterではないですか?」。

時には、外出先から遅くに戻ると連絡のあった人のために、保安の方へドアを閉めないで欲しい旨、ドアに貼り紙をしておくことがある。某日、社内の書道部部長であらせられる蒲田さんの手による麗々しく書かれた紙が、一晩中我が部署のドアに貼られていた。「房る人が居ます。ドアを閉めないで下さい」。遅くに外出先からもどった御仁は、翌日その紙を蒲田さんに見せ「フサルってなんでしょう?」と、首をかしげていたものだ。

この“天然”どころか“天才的”なボケはどこから来るのか。昨日や今日のワザではないと思った私は、しっかり蒲田さんを観察し、その話に注意深く耳を傾けた。そしたら、たどり着きました、ご幼少の砌に。

「父は自分が行きたいものだから、しょっちゅう幼い私を連れて、浅草に行ってたのね。そして浅草松竹演芸場で『デン助劇団』を見ていたのよ」。どうやら大宮敏光演ずる、どんぐり眼に、鼻を黒く塗り、首を赤ベコのように振ったハゲ頭の“デン助さん”が蒲田さんの味のあるボケの原点だったらしい。

《編集部註》デン助は本名・恒川登志夫。大宮敏光の芸名で戦時中、浅草にいた表具師・木村伝助をモデルにした「デンと任せておけ」が決めぜりふのショーがあたり、大宮デン助の愛称で呼ばれる。テレビの「デン助劇場」は1959年から72年までNET(現テレビ朝日)で放映され、大宮敏充と芸名を変えたデン助は76年、63歳で死去。

最初のうちは、客席に座ると幕が開くまで劇場全体が真っ暗になり、その暗闇怖さに「お父ちゃん帰ろうよ」と、泣いてお父さんを困らせたらしい。でも、お父さんから諭され、劇場にも慣れて来ると、今度は楽しくて楽しくて、自分からせがんで『デン助劇団』を見に連れて行ってもらったそうだ。私も、生のデン助さんを見ることはなかったが、テレビでの舞台中継は欠かさず見ていた。頼りないデン助さんは、しっかり者のスミちゃんという娘に頭があがらない。パグのような瞳でコソッとスミちゃんの様子を伺うデン助さん、その笑いはドツイたり、叫んだり、捲くし立てたりの現代の笑いとは文字通り、隔世の感がある。首こそ振らないが、あのヤンワリとした蒲田さんの“芸風”は、そこに通じているようだ。

『デン助劇場』は遠い昔に終ってしまい、デン助を演じた大宮敏光さんも他界されてしまったが、健康オタクの蒲田さんを主役に配した癒し系お笑い『蒲田劇場』は益々パワーアップして、まだまだ続く。

へんなものが頭の隅っこにへばりついてしまった。とても不気味なもので、こんなものが気になる自分自身の精神状態がおかしくなっているのではないかと、いささか不安でもある。

“へんなもの”それは名前を“はりがねむし”という。たまたま見た深夜のTV番組『ネプ理科』で、お目にかかった。お笑いグループ、ネプチューンが色々な実験をしていく中に、カマキリのお尻を水につけると“はりがねむし”が出てくるというのがあった。3人が、かわるがわる軍手をした手でカマキリをつかみ、そのお尻を水槽につける。結果、大ハズレ。な〜んにも出て来やしない。なぁんだと思ったが、番組のスタッフが収録後に何十匹ものカマキリのお尻を水槽の水につけて、とうとう“はりがねむし”を出すことに成功したらしい。番組のエンドロールの、そのまた後でその模様を放映していたが、その映像が凄かった。薄緑色のカマキリのお尻から、ミミズを黒く細くしたような、ひも状のものがニョロニョロと水の中に伸びて行く。体長5センチも無いカマキリのお尻から出てくる“はりがねむし”の長さは50センチを下らないだろう。いったいどうやってカマキリの体の中に入っていたのか、とても不思議だ。

翌日からは、TVの画面でその不気味さは分かっていながら、ついついインターネットで“はりがねむし”を引っ張り出してしまう。中にはカマキリのお尻から出てくる様を、ご丁寧にも連続写真で載せているHPまである。「ゲッ、何この長さ?!」などと思いながら、ネットの『お気に入り』に追加している私だった。では、そこに載っていた内容を。

『ハリガネムシとは類線形動物門ハリガネムシ綱(線形虫綱)ハリガネムシ目に属する生物の総称。体は左右対称で、非常に細長く、内部には袋状の体腔がある。表面はクチクラで覆われていて体節はない。種類によっては体長数cmから1mに達する。
水中に産卵された卵は孵化し、その幼虫は水生昆虫に寄生する。その宿主である水生昆虫がカマキリなどに食われると、その体内で寄生生活をおくり成虫になる。成虫になると宿主から出て、池や沼、流れの緩やかな川などの水中で自由生活し、交尾・産卵を行なう。ハリガネムシは宿主を水辺へ向かうよう仕向け(このメカニズムは不明だが、体温を上げ、水をかぶりたくするという説も)、身体を破って外へ出る』。

不気味ですねぇ。怖いですねぇ。寄生されたカマキリは、さぞ苦しく無念であったことだろう。それにしても、カマキリに寄生するまでも計画しつくされ、その宿主を自分が行きたい水のある場所に誘導するとは、どこからどこまでもオゾマシイ奴じゃ。なんか、人間の世界にも居そうな気がするぞ。

社のトイメンに座るP氏は、ご自分が巳年生まれのせいか、蛇の類が気になるらしい。やたらに数字に強く、やたらにお偉いさんから資料作りを頼まれるP氏は、眉間に皺を寄せながら、いっつもPCのキーボードを雷のようにバンバン叩いて数字を打ち込んでいる。ところが、カラープリンターから出てくる資料には、数字の羅列の他にニシキヘビ、コブラ、マムシなどがプリントアウトされたものが混じっていることがある。

「そりゃぁ忙しいですけど、息抜きに蛇を見てたりもするんですよ」とP氏。ちょっと蛇関連の話題を向けると「日本のマムシの生息地最南端は屋久島」だとか、「日本で最大級の蛇はアオダイショウで2m以上にもなるものもいる」とか、「日本ヤマカガシは毒が無いと思われていたが、噛まれて亡くなった人が出てから猛毒をもつと恐れられだした」などと、目を輝かせながら薀蓄を垂れる。

P氏のご自宅は千葉の新興住宅地で、近くにはご自身で「蛇山」と名づけた山がある。休日はサンダルをつっかけて、その山へフラッと昇るのが気分転換になるんだそうだ。ところがある日曜日、蛇山に登っている途中で実際に蛇に遭遇。「もぉ一目散で逃げました。でも、蛇さんも驚いたでしょうね、のんびりと日向ぼっこでもしていたんじゃないかなぁ」。そんなノンビリ・モードの蛇なら、さぞ嬉々として観察したのかと思ったのに「私、蛇大嫌いですから」って。分からん、意味分からん。それでも興味のある対象には“さん付け”をする律儀なP氏だった。

不気味なものに興味を持つのは、大人も子供も同じらしい。生後11ヶ月の頃から、我が家でめんどうをみていたモトちゃんは、父・母・私には直ぐになついてくれたのだが、豚弟にはなかなかなつかず、姿を見ては泣く日が続いた。これが、母や私が抱っこしたり、おんぶをしてやっている時に、わざわざ豚弟の姿を探し、見付けては大泣きをするのだ。おんぶの時など、のけぞって首をまわし荒川静香のイナバウワーもどきの体勢で豚弟を探す。そして、自分から見つけ出した挙句に大泣きなのだから、「探さなきゃいいのにねぇ」と、皆で話したものだ。

どうやら怖いもの見たさという精神構造は、生後11ヶ月にして早くも目覚めているらしい。確かに豚弟は、太い、短い、白いという体型で、“はりがねむし”とは対極の不気味さを持っている。私が画面に映し出されたハリガネムシに、ある意味目を奪われたのと同じように、11ヶ月にしてモトちゃんも豚弟の得体の知れない不気味さに惑わされてしまったのだろうか。

そういう点では義妹も同じだ。恋愛ならいざ知らず、チビ・デブ・醜男の豚弟と見合い結婚をしたのだから。初めて義妹を見た時には驚いた。スラッと伸びた手足、抜けるように白い肌。なんでこの娘があんな豚弟と?!

もしかしたら豚弟は“はりがねむし”が、己の寄生した虫を水辺に導くような催眠の技を隠し持っているのかも知れない。ここは、“はりがねむし”と豚弟をよくよく観察してその技を盗み出し、寄生できる私の“殿様バッタ”でも探すとしようかしらン。

2006-10-08 日

ネット通販

目が疲れる、肩が凝る、肘が痛む。これ全てパソコンの使い過ぎが原因だ。なんて私って働き者?!

イエイエ、私の辞書には「努力」や「根性」といった、額に納まるような言葉は無い。「働き者」も同じく存在しない。では、なんの為に目や肩や肘に症状が出るほどパソコンを使っているかと言うと、メールとゲームと占いの類だ。

メル友は、北は北海道から南はバングラディッシュまで。年齢は友達のお嬢さん小学6年生から、どう見ても還暦だが実年齢70歳のチョイ悪っぽいオヤジまで多岐に渡って、お付き合いいただいている。

北海道ののぞみちゃんとは、メールだけでなく彼女の開設しているホーム・ぺージにも度々お邪魔して、のぞみちゃんのお仲間ともHP上で仲良くさせていただいている。特に写真と短い紹介文を載せるコーナーには、マンションの近くで見つけた、目の玉が飛び出るほど値段の高いステーキ屋の看板を送って反響をいただいて以来、次々と投稿しては悦にいっている。デジカメを購入したものの、出不精の私は使う機会も殆ど無かった。けれども、このコーナーに載せたいがために持ち歩いてはネタを探している。お陰で、やっと日の目を見たわけだ。

投稿して次々とレス(というらしい)がついた時は、そりゃあもぉ大喜びサ。今までは通勤途上で、せわしなく通り過ぎていた東京駅構内や、近くのビルの広場などに、ちょっとでも変わった展示物があると直ぐ飛びついてデジカメに収める。機械オンチの私がPCに写真を取り込んだり、投稿したりできるようになったのも、みんなこのコーナーのお陰だ。仕事では覚えられない操作も、楽しみのためなら自力で覚えるから我ながらお見事。主催者ののぞみちゃんからしたら、HPに進入したウィルスと思っているんだろうなぁ。

ゲームで最初に覚えたのはお定まりの“フリーセル”だった。赤と黒の数字を交互に並べるやつだ。それから同じようソルティア、そしてリカコが入れてくれた“上海”、姪達とTVゲームではまった“ぷよぷよ”、神経衰弱のように絵を併せるゲームもやった。しかし今は「結局ここに帰って来る」と、スコッチウィスキー・ホワイトホースのCMのように、又“フリーセル”にはまっている。

占いも、前世占い、電化製品占い、来世占いetcそして、最近では脳年齢チェックものにも挑んでいる。今の所、一番良い成績は20代後半という正に実年齢(?)そのままのもあるのだが「思考が60代です。ポジティブな考え方をするようにしましょう」なんて、とんでもない結果が出てしまったものもある。次から次から世にネットへの興味は尽きず、ついつい日付けが変わるまで挑戦してしまっている毎日だ。そりゃ肘も痛くなるって。

そして、ここにきて急激にはまってしまったものがある。ネット・ショッピングだ。親孝行で心優しきワタクシは、何気なく覗いていたネット・ショッピングのページに、母が好きそうなラーメンの項目を見つけ、試しに実家に送ってみた。ミソ・塩・醤油が5食分ずつセットされた札幌ラーメンだ。

今日辺り届くかなと思っていたら、母、義妹、姪達から次々と「美味しかった」の報告電話が入った。はいはい、ご丁寧にいたみいります。こういう状況は、私が風邪を引いて実家で臥せっている時にもあったっけ。母が襖を開けて「何か、食べたい物はないかい」と顔を出す。10分くらいすると義妹が「義姉さん、食べたい物はないですか?」と言って来る。それから30分おくかどうかで、2人の姪が後先して「チャーちゃん(私です)、何か食べるぅ?」。少し静かに寝かせてくれぇっと悲鳴を上げたいところだが、例え風邪を引いていても、心根の優しいワタクシは「煩い!! 寝てるのが分からんのか!!」なんてことは決して言わず。その都度、丁寧にお答えするのだった。「お心遣い、大変ありがたいのですが、風邪の身で何も食べたくはありません。お願いですから寝かせて下さい」。

私が寝ている時には決して顔をみせることも、容態を聞いてくることも無かった冷たい豚弟が、この度は「午前中、ラーメンが届きました。 早速、昼飯に食ったけど、麺がしっかりしていて、なかなかでした。 まだたっぷり残っているので、いずれ来た時に 作ってあげましょう」と、初めてメールを送って来た。げに食べ物の威力とは恐ろしいものだ。

優しい娘であり、姉であり、伯母さまであるところのワタクシは、皆が喜ぶ様子を見ると嬉しくて、次々と何か送りたくなってしまう。直後には目先を変えて“ふぐの刺身”を河豚の絵皿付で送った。その後は、中華が好きな母のために肉まん、あんまん、シュウマイ、餃子の詰まった中華セット。これには母から「美味しかったけど、小龍包が入っていなかった」というクレームが出たため、急遽、小龍包入りの中華セットを探して発送の手続きをした。今は何を送っても、一応は喜んでくれているけれど、そのうち小龍包だけでなく注文が煩くなりそうだ。

自分自身には、キャスター付の買い物籠、何段階にも変えられる大き目の座椅子、膝に優しいという靴の中敷を購入した。どれも、実用的でなかなかの「お買い物上手」と自負している。そして、今注文中なのは現在置いてあるキッチン家具の上に置いて使う、白い家具だ。

ン、よく見ると“組み立て式”の文字があるではないの。ウッカリ者は気付かなかったぁ。これは届いたら組み立てなきゃならないってこと?! カラーBOXは、ユウちゃんに手伝ってもらってどうにか形にしたが、それだって「斜めになっちゃってますぅ」「天板は、こっちですよぉ」なんて言われながら、悪戦苦闘してやっとこ出来上がったものだ。今度のは扉が3枚もある物だ。果たして、きちんと開閉できるように仕立てることができるだろうか。CDラックなど、お手の物で組み立ててしまうリカコが「電動ドライバーは便利ですよ」って言っていたことがあったっけ。電動ドライバーを急いで注文しなくてはならないかな。それよりも、肘がこれ以上痛まないように、組み立ててくれる優しく頼もしい殿方をネット通販で注文しよう。さて、どこの通販を探せば送ってくれるのだろう。お支払いはVISAのブラック・カードで一括にしてちょうだい。

2006-10-01 日

独りぽっちの秋

ウエダに言わせると私が独身なのは「惚れっぽくないのが敗因よ」となるらしい。

「独りはツマンナイ」と言いつつも、自分から惚れたはれたは無いし、近づいて来た相手と(マ、いっか)とお付き合いが始まっても(やっぱ、チャウ)となり、結果…今に至る。そんなことの繰り返しで私は悟った。“ワタクシは神様の秘蔵っ子”ゆえ ♪誰も彼も花を抱えて戸を叩くぅ〜 と、山本リンダが歌うように、殿方がマンションの前で列をなしたとしても、一人の男性のものにはなれないのだと。 なので、これからも孤高の人を貫かねばならないのだと。

しかし、お彼岸も過ぎ、秋の気配が押し寄せてくるこんな日、独りポッチは寂しいぞぉ。小春日和の日差しがもの哀しいぞぉ。ああそれなのに、それなのに、私の周りのミセス共ときたら、なんとパートナーを粗末にしていることよ。

数年前ウエダから珍しく、就業時間のデスクに電話が入った。開口一番「ねぇ、ウチのの支社転勤辞令出てる?」ときた。ウエダは社内結婚だ。そして、夫のウエダ協平くんが次回の人事異動で大阪支社に転勤になるはずだと言うのだ。「10日ほど前に、転勤になるらしいと言ってたのに、なかなか決まったって言わないのよ。発表は昨日よね?!」。一応4000人からなる弊社でして、辞令に細かく目を通しておりませんでしたので気付きませんでした。それから身を入れて束になった辞令を見直し、協平くんの異動を確認。折り返し電話を入れるとウエダの声の弾むこと「良かったぁ。スッカリその気になってたから動かなかったらどうしようと心配したワ」。食いしん坊のウエダのこと、やはり“食い倒れ”の街に行けるのが嬉しくて仕方がないのだろうと思った。しかし「家族は行かないワヨ。単身赴任に決まってるじゃない、やっとホッとできるのに」と、冷たいお言葉。「なんなら、一人でずっと大阪に居てくれてもいいワヨ」。おいおい、それはあんまりのお言葉ではないですか。

思い起こせば、遥か遠い日。ウエダの新婚家庭にお邪魔した時は、お酒の呑めない協平くんが、毎晩のようにケーキの箱を片手にご帰還し「嬉しいんだけど太っちゃうワ」なんて、大いにノロケておりましたっけ。「風邪ひいたみたぁい」なんて言って、協平くんとオデコとオデコをくっつけて「大丈夫、熱は無いよ」って、こっちの方が熱が出そうになるくらい、アツアツなところを見せ付けられましたっけ。

ああそれなのに、それなのに年月の経過のなんと怖いこと。大阪赴任から3年後、協平くんが東京本社に戻ると決まった日「大阪から東京じゃなく、そのまま神戸へでも行ってくれたらいいんだけど」と、不平の電話が掛かって来た。そして、元の暮らしが始まってからも「独りはいいわねぇ」と、孤独の寂しさなどオモンパカル気はさらさら無く「一人でイイから相手が欲しい」という私に「お互い無いものネダリよね」だって。ウエダはあるモノを邪魔にしてるのじゃないか。それは無いものねだりではないぞ。

美里さんのご主人も茨城へ単身赴任中だ。「可愛いジーク君と二人でホッとしてるわ」と、国勢調査にまで「男・就学前」で提出する愛猫を抱いて、ご満悦だった。皆さん、日本の人口には雄猫が混じってますよ。「猫を申告しちゃまずいんじゃないの?」という私に、美里さんはおっしゃった「どこにも、人間とは記されておらん」。そんなの確認したことも無かったよ。

ところが、大切な大切なジーク君がガンで、あっけなくこの世を去ってしまった。それもこれも“おっさん”と呼ぶご主人のせいだと美里さんはおっしゃる。「あの男、ジーク君が大手術を受ける日に帰って来んかったんやでぇ」と。それは心細さ、頼りたい気持ちの現れだと思ったのだが「病気平癒のお守りを持ってくると約束してながら、仕事が休めんようになったと言って帰って来んかった。お守りが届かんかったからジーク君は逝ってしもたんや」と、烈火のごとくお怒りだ。どうやらご主人ではなく、ご主人が持ってくるはずだった“お守り”を待っていたらしい。ペット・ロスは周りには計りしれないくらいのショックがあるらしいが、まだだんなさんというペットが残っているではないか(?)

そんなこんなのウエダも美里さんも、夏休みだ正月休みだと言っては、ご夫妻揃って海外にお出かけになる。それでいて帰ってくると決まって私に、お土産話ならぬ亭主の駄目話を聞かせてくれる。「もう2度と一緒に旅行はしない!!」これが毎度の決まり文句なのだが、それでいて翌年は又、一緒に出かけて行くのだ。「どうせ来年も一緒に行くんでしょ?!」とちゃかすと「だって、夫婦で行くのが1番安上がりなんだもの」。なら毎回毎回、独り者の私に愚痴を言いなさんな。

そこに行くと、豚弟夫婦は何処に行くのも一緒だ。既に、とっくに新婚さんでも無いのだけれど、犬の散歩と称して義妹は豚弟を駅まで迎えに行く。帰って来ると、遅い夕飯。老親と子供達と先に食べてしまっている義妹は、弟の横で甲斐甲斐しくおさんどんだ。たまに私も実家に帰り、豚弟と一緒に食卓に座ることがある。そんな時、義妹が豚弟に「美味しい?」なんて聞いているのを見ていると、微笑ましいとは思うものの、そのうち、今、夕飯を食べてる傍で「明日、何食べたい?」なんて質問が真顔で始まると、こちらが「今、夕飯食べてるのに考えられるか」と言いたくなってしまう。「帰りは今日と同じくらい?」「男は外に出たら7人の敵が居るんだ、時間なんて分かるかい」。もちろん返事したのは私の心の声で、豚弟は「明日、何食べたい?」「そうだなぁ…」。「帰りは今日と同じくらい?」「そうだなぁ…」と、のらりくらりとかわしている。

それにつけても、ウッセー、ウッセー!! 家に帰り着いての食事くらい静かに食べさせてもらいたいだろうに。こんな、豚弟の妻の様子を見ていると、まだ放って置かれるウエダや美里さんのご主人方の方が幸せかも、と思ってしまうのは、独りぽっちが長い私の僻目だろうか。