2016年、東京オリンピックが開催される、かもしれない。ニッポンで、2度目の夏のオリンピックになる、かもしれない。
昭和39年の、あの東京オリンピックは自称25歳の私も時空を超えて感動しながら見ていたものだ。東洋の魔女、裸足のアベベ、体操競技の華チャスラフスカ…なんと言っても国を挙げての最大級のお祭りという賑わいがあった。オリンピック招致のおかげで新幹線が開通し、首都高速道路もできた。家庭にはテレビが浸透したし、三波春夫の歌う♪東京五輪音頭が巷を席巻していた。
その東京オリンピックも大成功で幕を閉じ、「芸術は爆発だぁ!!」と目をむいた岡本太郎の“太陽の塔”が象徴していた大阪万国博覧会も終わり、高度経済成長、昭和元禄なんて言葉がもてはやされた頃に、私は社会へと足を踏み出した。(もちろんハイハイで。まだまだ25歳はあがきます。それでも勘定は合わん)。
つい先日、同期入社の内田さんが「今月いっぱいで退社することにしました。お世話さまでした」と挨拶に来た。寿退社も出産退社もせずに頑張って来て、子供が成長した今なぜ、と聞くと「親にも子供にも止められたけど、体力気力の限界を感じ」って、まるで昭和の大横綱千代の富士引退時の会見のような言葉を返された。
ああ、これで同期入社の女性で、社に留まっているのは私を含めて4人になってしまった。何せ、高度経済成長期の入社ゆえ同期は女性だけでも30人を超えていた。なのに、とうとう準決勝まで進んでしまったことになる。
何度も何度も「こんな会社、辞めてやる!」と思い、現実に人事部長の元へも辞職を申し出た。でも、その場で止められてしまった。「お願いだから辞めないで」って。やっぱり弊社は、このワタクシが支えてるってこと?! そんなわけで「辞める、辞める」と 言い続けている狼お姉さんを、リカコに改めて詫びると「私は前から姫宮さん、 辞めはしないと分かってましたからぁ」と、いとも簡単に看破されていたことを知らされた。本人は、その都度その都度真剣に「辞めてやるぅ」と拳を振り上げていたのだけど、冷静なリカコの目から見たら(また始まったよぉ。はいはい、分かりました)ってな感じだったのだろう。
そして今ではリカコ、絵美ちゃん、ウエダ達に口を揃えて言われてれている。「人事部長、今頃後悔してるよね。あの時引き止めなきゃ良かったって」。
振り返れば、私がピッカピカの新入社員の頃には、今のような派遣社員も居ないし、社内での女性の存在は希少だった。なので、こちらは知らないオジサンやお兄さん達から、ちゃん付けのファーストネームで呼びかけられ、驚いたものだ。それだけ、家庭的で和気藹々でもあったってことかな。
昼休みに屋上でお喋りしていると、取締役であらせられるところの大沢局長が「今は、どんな話題で盛り上がってるのかな」なんて、我々乙女達の話の輪に入ったりもしたものだ。その時、局長は私の腕をチラと見て「君は時計してないの?」。「持ってないんです」と答えると「我が社のボーナスは腕時計が買えるくらい出るからね」と、仰った。初めてもらったボーナスは6万円だった。腕時計が充分買える額だったけれども、私は生まれてこのかた自分で腕時計というものを買ったことがない。学校はずっと地元だったし、勤めに出ても、毎日同じ時間の同じ電車に乗って出勤し、品行方正のワタクシは同じ時間の同じ電車に乗って帰っていたから、時間を気にかける必要が無かったのだ。(そうよ、デートも無かったのよ)。
腕時計をしない、もとより持たない生活はしっかり腕時計をしている方々が考えるほど不便なものではない。駅にも街にも職場にも、時間を知ろうと思えばどこにでも時を刻む物はある。電話機、PCをはじめ様々な機器に時計はついているし、電車の中では隣の紳士の腕時計、これが意外と見易いのだ。社の前の通りを街宣カーが行けば正午だし、陽がおちて♪七つの子のメロディーが聞こえてくれば午後5時だ。
実はプレゼントされた腕時計を、無くしてしまったことが2回ある。1回はゴルフ練習場で邪魔だと外して、そのまま放置して来てしまった。もう1回は生ゴミ回収の日に、後でつけようと手に持っていたものの、ゴミ袋と一緒に収集箱に投げ入れてしまった。慣れない物は身につきません。もちろん下さった方には未だに内緒である。
初めてのお給料は「私の記憶が確かなら」3,5000円だった。お札が4枚のぺらぺらの給料袋をもらっては「お札がギッシリ入って、給料袋が立つ人がいるらしいよ」「立った給料袋を見てみたいね」と、同期の人達と羨望を込めて話していたものだ。残念ながら、立っているぱんぱんの給与袋を誰にも見せてもらう機会はないままに、給与は銀行振込みになってしまった。
同級生の敏子の会社では給与は当然銀行振込みなのだが、振込み先の行員が、給料日になると申し出た額の現金を持って現れるシステムになっているとか。そして社員に現金を渡して歩く。もちろん、自分が働いた給与の一部なのだが「まるで、その行員から頂いてる気になっちゃうわよ」と、敏子は不思議な感覚を教えてくれた。社内結婚の敏子には「夫より、現金を渡してくれる行員の方が、ありがたい存在に見えちゃうわ」と。行員から受け取った現金から、旦那さんには敏子がお小遣いを渡しているわけで、となると旦那さんの地位って微妙。
『給与・賞与の明細の紙での配布は2006年12月給与をもって終了となります。以降は社内ネットワークで閲覧して下さい』。先日、総務局よりこんなお達しが出た。とうとうここまで来ましたか。オヤジの威厳は給与が銀行振り込みになった時点で、地に落ちてしまっているというのに明細書まで出ないなんて。
2016年、2度目の東京オリンピックが開催される、かもしれない時には、世の中どんだけ変わっているのだろう。「おとうさん頑張って!!」ってか。
ある県の調べによると、何らかの形態で週休二日制を実施している企業の割合は88.3%(労働者数割合91.6%)となっているそうだ。サービス業でさえ84%に達する。なのに、なにゆえ、なんだって私は土曜日まで出社しなくてはならんのさ。
時には、日曜も祭日も出なくてはならないことがある。しかし、キツイのは土曜出社だ。なぜなら、土曜日は2人組での当番なのだが、私とペアを組むのが数多い私の熱烈なるファンの1人なのである。
朝、席につけば、伊藤園の「さらさら効果天然ルチン40mg韃靼純そば茶」が「どうぞお飲み下さい」と、置かれている。電話連絡の多い職場なので、これでもかとばかり、喉のためにと飴がドサッと渡される。カンロ=ノンシュガー果実のど飴、香るライチ、Senjyaku(何時の間にローマ字表記?)=ジュース飴、上間菓子店=スッパイマン梅キャンディー、ノーベル=小玉果実、明治製菓=チェルシーetc(皆さんの想像より絶対に多い)。この私、数年前の人間ドッグでは“糖尿病境界線”の診断を受けている。漫才師のタカアンドトシではないけれど「殺す気か?」
土曜とは言え、出社すればやっつけなければならない仕事がワンサカあるのだが「いいですから、自分がやりますから」と仰って下さっちゃうので、素直な私は友達に「又、土曜出社よ。大変よ。疲れるよ」とメールを打ったり、ネットで占いをやったりして過ごす。
正午になると「ちょっと行って来ます」と席を立つので「行ってらっしゃい」と丁寧に見送る。10分もするとビニール袋を下げてご帰還。袋の中にはコンビニ弁当と、カップの味噌汁、その他の惣菜が入っている。ずっと以前は交互に食事に行っていたのだが、2人揃って日がな席にいなくてはいけない事態が発生したことがあった。その時「すぐ戻りますから」と、私の熱烈なるファンの1人であるところの職場の上司(ナガッ)が、すっ飛んで行って買って来てくれたのがコンビニ弁当だった。(昼、抜きかなぁ…)なんて、この世の終わりのような悲壮感が漂っていた我が身には、それはそれは有り難い食事だった。そして心の底から「美味しい!!」と言った一言で、以降、土曜の昼は二人並んでデスクでのコンビニ弁当と相成った。そして、電話が鳴っても「出ますから取らないでイイです。ゆっくり食べて下さい」と、自分もお弁当をかっ込みながら、電話に飛びついてくれる。
そんな状態で、優雅に美味しく頂いているのだが、いかんせん量が多い。幕の内弁当の上に、キンピラ牛蒡だったり、ポテトサラダだったり、ほうれん草の御浸しだったりが、その日の気分でオマケにつく。煮卵だった時もあったなぁ。具沢山の大きめなカップの味噌汁もつくのだから、とても食べ切れやしない。すると、そんな時は私の熱烈なるファンの1人であるところの職場の上司が、単なる上司になり、私のお弁当の進み具合を見ながら「ちゃんと食えよ」と一括するのだった。
3時を過ぎると「ちょっと行って来ます」(その2)がある。ご想像通り今度はおやつである。シュークリームだったり、プリンだったり、大福だったり、団子だったりetc・etc。嬉しいけど「グルジィ」が本音。昼に容量以上詰め込んでる胃袋が悲鳴をあげている。無理…のはずなのだが、目の前に置かれるといやしん坊は、ついつい食べてしまう。ゲップをしながらでも目が欲しい。そうでした、糖尿病境界線だった我が身、殺す気か?
♪夕焼け小焼けで日が暮れて〜 何処で鳴らすのか、オルゴールの郷愁を誘うメロディーが流れてくる。そろそろ帰り支度でも致しましょう。
「軽く1時間、飲んで行きますか?」これも恒例。場所は、ほぼ居酒屋。庄や、笑笑、素材や、やる気茶屋…。お弁当食べて、スイーツ食べて、その間に韃靼純そば茶飲んで、まだまだお腹空きません。「お腹、あまり空いていませんから注文はほどほどに」とヒトコト申し上げる。それでも、アッと言う間にテーブルはいっぱいになってしまう。私が箸をAに近づけた途端に「Bは暖かいうちに食べないと美味しくなくなってしまいますよ」とBを薦められる。Bを食べたからAを食べようとすると「わぁ、これは美味しそうだ。Cを食べてみて下さい」と、声がかかる。Cが終わりAへと思うと「Dが来ました。これが先だと思うな」って、好きなものを好きなように食べさせろぉ!!
私の熱烈なるファンの1人であるところの職場の上司は、次々と注文はするものの、自分はビールを飲むばかりで料理には殆ど箸をつけない。「以前、好きだとおっしゃったから頼んだんですから、ちゃんと食べて下さい」と丁寧に恫喝されるのだが、私は食べたいなんて言ってませんから。
結局1人で体全体が胃袋になったくらいに食べつくし、ため息をついていると「デザートは何にしますか?」とメニューを手渡される。もう無理、絶対に無理とは思いながらも、見せられるとねぇ。甘いものは別腹って、私には胃袋が幾つあるのだろう。「もうイイですか? 他に食べたい物はありませんか?」というお言葉でやっとこ解放された事を知る。
腹ごなしに東京駅までのんびりと歩く。本当は2駅、3駅歩いてもこなれそうもないけれど。
東京駅でトドメ「お土産を買いましょう」。構内にある“おいもさんの店・らぽっぽ”で、おいものケーキを“持たせられる”。まるでブロイラーになった気分だ。やっぱり殺す気だ!!
ああ、だから土曜出社はキ・ツ・イ?!
何が嫌いって、煩いのとメンドクサイのが大嫌いだ。どうでも良いことをガタガタ言う、肝っ玉のちいさな上司も嫌だし、アタマの天辺から声をだして「ヒメミヤさ〜〜ン」とスリ寄って来る後輩のヨーコちゃんも苦手だ。サッサと手書きすりゃ早いメモもいちいちパソコンで打ち出してコピーして配布するようなことも面倒だし、役場の窓口よろしく(お役所さんスミマセン)部署Aと部署Cで直接話せばいいことを、部署Bが「こちらで伺って両部署の折り合う所に着地するよう計ります」なんて、口を出してくるのもシチメンドクサイ。とは言っても、私にとって煩わしくメンドクサイのは何と言っても、化粧とブラジャーだ。(なら、それだけサッサと言え、だらだらとメンドクサイ)。
入社早々は、腰まで伸ばした黒髪を三つ編みにし、ノーメークで埼玉の片田舎から通勤していたものだ。見かねたに母に「東京のド真ん中まで通ってるんだからね、近所の魚屋にサンマ買いに行ってるんじゃないんだからね」(魚屋さんゴメンナサイ)と、口紅を持って追い掛け回され、泣く泣くメンドクサイ化粧を始めた。そうそう、同期の人達と思い出話になった時「新人研修の合宿で、顔を洗っても顔が変わらなかったのは姫宮だけだったね」なんて言われたっけ。
化粧というのは不思議なもので、慣れないうちはとっても厚化粧になってしまう。売っている物は何でもつけなきゃいけないような気がして、頬紅、ノーズ・シャドー、アイライナー、アイシャドー、マスカラetc. 今では殆ど使わないものも塗りたくっていた。頬紅をつければオテモヤンになってしまうし、ノーズ・シャドーを使ったひにゃぁ、正面から見れば鼻筋の通った高く見える鼻も、横から見たら鼻梁が茶色く汚れた感じだ。アイライナーもクレオパトラもかくやというくらい濃く太くなって目張り寿司でも食べたようなビックリお目目になってしまうし、マスカラをつけてクシャミをすれば、下瞼が真っ黒になって狸がアカンベしたみたい。(残念ながら、狸があかんべをした所は見たことないが)
初めてブルーのアイシャドーを塗って出社した日には部長に目顔で呼ばれた。何事かとデスクまで行くと「誰かに殴られたの?」と真顔で尋ねられた。友達のモミちゃんは、後ろ足首にアクセントのリボンがついたストッキングで颯爽と出社したつもりが「靴擦れ? バンド・エイドが剥がれそうだよ」と言われたとか。
ここで、年月を経て、化粧熟練者(?)となった化粧嫌いの私が、毎日どんな風に化けているかをご披露しよう。朝は洗面器に水を張ってバシャバシャと顔を洗う。洗顔後につけるのはシーブリーズ。白地にブルーのヨットの絵がついた爽やかモードだ。母が「臭い」と鼻をつまんでも、フェイシャル・マッサージをしてくれたエステティシャンのミヨちゃんに「もっと潤いを保つ化粧水を使って下さい」とアドバイスされても、好きなんだから仕方ない。あのスーとした感触が“清潔さ”を醸しだしている気がする。ちょっと傷があって沁みようものなら(消毒・消毒)と、うれしくなってしまう。シーブリーズの後は下地クリームを兼ねた日焼け止めクリーム。そしてダイソーで買った税込み105円也のファンデーションを塗って、同じく105円のオシロイをパフで叩きつける。これで土台はおしまい。
眉を描く。髪は、多くて太くて真っ黒なのに眉毛はミクロゲン・パスタを購入しようかと悩むほど薄い。なので、マユズミを引く。毎日、引くのはメンドウなので、刺青でもしちゃおうかと思ってはみるものの痛いのは嫌いだから無理。眉毛が薄いとポヤ〜ンとした寝惚け顔になってしまい、毎日せっせと描くっきゃない。口紅をさす。つけないと血色が悪く見えるのでこれも必須。こちらも先日、大井町の丸井内のダイソーで、グロスも含めて4色で105円也を購入したばかり。鏡と紅筆までついたオーバルの容器に、丸い仕切りがある可愛い口紅セットで、毎日楽しんでいる。どう考えても105円は安い。絶対に安い。
帰宅しての化粧落しは、入浴時に石鹸でゴシゴシ洗うだけ。クレンジング・クリームで丁寧に落すなんてことはしない。石鹸も、化粧石鹸やムース式などの、お洒落なものではなく、浴用の固形石鹸だ。これも好きなんだから仕方ない。顔と体を洗う石鹸を別にするなんてメンドウなことはしない。単に石鹸、浴用石鹸。さすがに洗濯石鹸は使わないけれど、ゴシゴシ洗って、最後に真冬でも水でバシャバシャすすぐ。湯上りは当然ながらシーブリーズである。う〜ん、清潔ぅ。
こんななので、かかる時間は化粧に10分あれば余裕だし、落すのには5分てとこかな。
さて、もう一方のブラジャーだが、子供の頃の姪や近所の坊主と一緒に入浴した時「なんで女なのにおっぱいがないの?」との鋭い質問が出たり「チャーちゃん(私)は絶対におっぱい小さいよぉ」と、ギネス並みの認証を得たりしている身としては、もともとが必要なものでは無いのだ。けれどもやはり、そこはほら夢見る乙女(?)。ランジェリー・コーナーでは顔見知りの店員さんに勧められるままに、それはそれはお花畑のようなブラジャーをショーツとセットで購入する最上級の客なのだ。なんで、そんな買い方をするかと言うと、Aサイズのデッパリも無いと諦めていた私の微乳を「お客様はBですよ」って、薦めてくれた店員さんがいたのだ。ブラをするようになってこの方、AAサイズのを見られて、アッちゃんに笑われたことはあっても「あなたはBです!」と言ってもらったのは初めてだった。そりゃ、かなり厚めのパットは入っているがBを購入と思うだけで嬉しいったらありゃしない。
けれども、やっぱり必要としない物は邪魔よねぇ。暑さに負けて一歩も外出しない日は、ノーブラのランニングシャツに短パンで、日がな部屋でブラブラしている。先日は、火災報知機の検査で、係員が来訪。仕方なく、それなりの格好でお出迎えしだが、チェックが済んでお帰りになるのが早いか「アチチ、アヂヂ」と即、開放。ホッとくつろごうとしたトタンにチャイムが鳴った。「スミマセン、確認し忘れた箇所がありました」。チョッ、チョッと待って下さい。やおら投げ捨てたブラをつけて服を着て…。
私って、お・や・じ?!
いえいえ、これでも一歩外に出ればナイスバディーの薄化粧、ハンサム・ウーマンでございますのよ。
「スッスッススー、スッスッスッスー」 別にラマーズ法ではない。
たまたま早朝に目が覚めてしまった日曜日、テレビをつけると『早く起きた朝は』の画面が現れた。磯野貴理子、松居直美、森尾由美の3人が視聴者のハガキを読みながら世間話をするという他愛も無い番組だが、確かスタート当時は『遅く起きた朝は』という名前で日曜の朝9時半からの放映だったはず。それが『遅く起きた昼は』という名前で午後1時半に移り、気づいたら早朝に変わっていたというわけだ。
その番組の中でウエストの括れを作る方法として松居直美が披露していたのがこの「スッスッススー」という呼吸法だ。すぼめた口から「スッスッススー」と、下腹部の空気をすっかり搾り出す。「これをやったら、クビレができたのよぉ。ウエストって自分で思っていたのより高い位置にあるのよぉ」と、松居直美が目を輝かせて語り、磯野貴理子も森尾由美も膝を乗り出して聞いていた。
そして、ベッドから飛び起き、テレビに向かってググッと身を乗り出していたのが、この私だ。木村拓也が何年か前に「く・く・くびれぇ」という台詞を吐くエステのCMが話題になったが、女性はやっぱりクビレが欲しいやねぇ。それにウエストにクビレができるということは、同時に体重も減るということだ。このところ夏の温度計よりぐんぐん上がって行く体重の数値を落すために、これは試さにゃなるまい。
しかし、「スッスッススー」の呼吸法で、果たして私が痩せるために挑戦する方法は何種類目になるのだろう。頭の上で腕を組み腰をひねりながら歩くデューク更家のウォーキングも、指にテープを巻く方法も、髪を束ねてゴムで縛る方法にも挑戦した。挑むのは早いのだけど、諦めるのはもっと早いという潔さゆえどれも続かないのよねぇ。
座ってユラユラしていれば体内脂肪を燃やすという、直径80センチもあるゴムボールも購入したっけ。何度か乗ってはユラユラさせてみたものの、背中から思いっきりよく落ちてからは独り暮らしで頭でも打った日にゃぁ、異臭騒ぎで発見されるまでそのまんまであると気付き、自粛している。空気は抜かずに放ってあるものだから、風が入ると部屋の中をデカイ図体でゴロゴロと転がりまわって目障りなことこの上ない。
大枚はたいて購入した、装着して横になっているだけで細くなれるという、手首から二の腕までと足首から腰の付け根までという長〜いサポーターも、その圧力の凄さに肉がうまく入って行ってくれず断念。今では私の無惨な太ももと二の腕の形を残したまま、ケースに入ってクローゼットの中だ。
それにしても「昔は良かった」の常套句ではないが、昔の私は「電信柱がコートを着ているようだ」と口の悪い母から言われたくらいに痩せていた。服のサイズは5号や7号、夏のワンピースに至っては3号なんていうのもあり、自分でも目を疑ったほどの華奢さだった。思い出してみればあの頃は「お米を一粒ずつ食べているから、そんなに痩せっぽなのよ」って、これまた母から言われるくらい食も細かった。そして食べ過ぎたと思うと必ず下痢をしたものだ。打って変わって現在は「おなかは一杯なんだけど、目が欲しいのよねぇ」と、目につくものは次々と平らげ、挙句には苦しい便秘。これじゃ太らないはずがない。
自分で“太った”を実感したのは数年前、八重洲地下の店でスーツを試着した時だ。平素はデパートのストロベリーサイズ・コーナーやパールサイズ・コーナーという可愛い名前のついた、小さなサイズ専門コーナーで買い物をしていたのだが、その日は普通サイズを取り扱っている服飾店にふらりと入り、気に入ったスーツが7号だったので試着してみることにした。すると、テーラーと思しき実年男性が「そちら、ウエストは出せますので大丈夫ですよ」と言ったものだ。(ウエストが出せるぅ?!)。ウエストを“つめる”ことはあっても“出す”ことはあり得ない。(何をホザクか)と内心ムッとはしたものの、そのまま試着室へ。
う・うっそぉ?! ビックリこきまくりです。あの細い私のウエストはどうしたの? どうにかスカートのジッパーは上がりベルトのボタンは留まったものの、大きく息をしたならば、途端にジッパーははずれ、ボタンは飛び散ることは間違いなさそうだ。スカートのベルト部分は見事に私の下腹にめり込んでいるではないの。ここで「ウエストを出して下さい」というのは女の沽券にかかわる(?)。かなり気に入っていたのだが、その、目の効くテーラーが他のお客の相手をしているのを幸いに急いでスーツを元の位置に戻して、大急ぎで店を後にした。それにしてもショック!!
あのショックで、ウエストを元のサイズに戻す努力をしたならば、あそこで留まっていられたのに…。
後でするのが後悔。あれから数年で何キロお肉が増えたことやら。今では怖くて体重計に乗ることすらできやしない。パールサイズだった頃は、私のサイズに10号足した服を着ていた母に「これだけの余分な重量をお母さんは持ち歩いてるのよ。少しは痩せるように頑張ったら!!」なんて、偉そうに牛乳パックを目の前に積んで見せたりしたものだ。それが今では私の体の中には牛乳パック半ダース以上は軽くつまっていることになる。
反省と努力の無い私はいかにしたら体重を落すことができるのだろうか。そんなことを考えていた土曜日のこと、通勤のために電車に乗った途端に便意が襲って来た。腹痛は伴わなかったし、土曜日で最寄り駅から座れたのは幸いだった。ひたすら自分に(あと20分、15分、10分…)と冷や汗をかきかき、カウント・ダウンをしていた。
そうだ、冷や汗三斗と言うじゃない。1斗とは…10升=18.039リットル。私はあの苦悶の時間18.039リットル×3もの汗をかいたことになるのだ。あらン体重が無くなっちゃう。それにしても見事な減量方法だ。この手があったかぁ。もちろん体に悪い状況作りはできない。これからは行く先々で大いに恥をかき、冷や汗をかくことを心がけるとしよう。
誰? 「厚顔無恥には無理」なんて言ったのは。